ちょっとよりみち 大斎原展望台
熊野本宮大社は、速玉大社や那智大社と違い、深い山の中にあります。
美しい熊野川がとうとうと流れているという峡谷に位置し、豊かな自然の真っ只中にあります。
那智大社も緑豊かな原生林があり、青い山々がいくつにも連なっていますが、那智のブルービーチも近くにあるという意味で、本宮大社とは、少々違った背景となってます。
それで、どうしても、本宮参詣の後は、中辺路の雰囲気を短時間でも経験したいという気持ちがあり、ちょっとよりみちして、大斎原展望台まで足を延ばしました。
田辺市の中辺路を本格的に楽しむには、こういう1-2時間位の時間帯でなく、最低1泊するという準備が必要になるかと。
残念ながら諸般の都合でできないので、本宮から北方向に単純に歩いて行ってみました。
結果はどうなるか、全く未知数でした。こういうところが魅力ですよね。
住宅地を抜ける頃に、山の中に上がっていく階段があります。
伏拝王子(ふしおがみおうじ)まで3.1キロ
参詣道保護のためにトレッキングボール(ストック)にはゴムキャップを装着してほしい
と案内板にあります。
ここから、2-3分、上に歩いていくと、祓殿石塚遺跡見があります。
祓殿石塚遺跡
発掘調査が、既に終わったように見えます。
本宮大社前にある「世界遺産 熊野本宮館」で、これについてのコーナーが設置されてます。
(案内板の内容は以下を参照してください)
そのガラスのケース内に石塚のレプリカが再現されてます。
ケースが光を反射するので、良い写真が撮れませんでした。
(どうぞ、具体的な内容はご来館された時に、ご確認ください。)
光が反射していない箇所の写真、レプリカの一部分だけを掲載します。ご了承ください。
以下は和歌山県による解説の引用です(一部省略)。
(石塚は、英語でいうとstone moundなんですね。)
南北15m、東西4m、最大高約1.3mの高さまで積み上げられた石塚(石の積み重なった小さな丘)である。
石の大半は30センチ未満の川原石で、江戸時代後半(18~19世紀)の陶磁器や銭貨が共に出土した。
このことから、石塚遺跡はこの時期に築かれたとみられる。参詣者たちが自らの穢れを清めることや参詣道中の安全などを祈念するために、石を積み上げたとされている。
また、発掘調査の結果、石塚遺跡が築かれる以前の石列や集積遺構を検出するとともに、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部や他の遺物が出土した。
このことから石塚遺跡が築かれる以前の中世(鎌倉時代から室町時代)の段階には、すでに信仰関連の何らかの遺跡がこの地に存在したと推定される。
江戸時代の人々に神聖な場所という記憶が残っていたため、石塚遺跡がこの地に築かれたのではないでしょうか。
なかなか興味深いですね。
発掘されてラッキーでした。
この説明文は、現地でも同じ内容で、案内されています。
ちょっとよりみち 大斎原展望台
よく手入れの行き届いた山道、そして原生林がそのまま残っているかのような深い森、素朴なお地蔵さんたちと遭遇等々、まさに命の洗濯をいたしました。
道中2-3回、同じ男性に会ったので、この方は、体力作りに、ここの山道を歩いているのではないでしょうか。
登りと下りを往復する運動量と、森林浴の効果は抜群です。
気持ちよい思いをしながら体力も増強するという時間の過ごし方です。なんと贅沢な。
できるだけ写真で連続投稿してみます。
お楽しみください。
熊野古道中辺路 石畳道です。
展望台に到着しました。
ここでは手持ちのスナックと水で一息つきました。
青空の下、木製のベンチが木陰にあって爽快感、清潔感は充分。
この後、どっかで休憩用にスナックをと、どこの店に行こうかとあれこれ思いめぐらします・・至福の時。
最高に楽しかったです。
スケジュールの関係で仕方なく下山します・・・
情報によると、このコースは大変そうなので覚悟していました。
が、実際は、とても良い思い出作りとなりました。