小栗判官物語(おぐりはんがんものがたり)
小栗判官(おぐりはんがん)って、皆さんは聞いたことがありますか。
つぼ湯には、室町時代に実在していた小栗判官にまつわった物語があります。
これは、つぼ湯の待合室の前にある大きな案内板に物語が紹介されてます。
実在した人物がいた
常陸国(ひたちのくに、現在の茨城県)にあった小栗城(おぐりじょう)の城主である常陸小栗氏の小栗満重(おぐり みつしげ、室町時代前期から中期の武将、生没不明)と、その子、小栗助重(おぐり すけしげ、1413年~1481年)という実際の人物をモデルとして中世以降に伝承された物語なんです。
一言で簡単に言うとー
毒殺された小栗判官(小栗助重おぐりすけしげ、満重の息子)が主人公です。
地獄のえんま大王のお慈悲により、もう一度やり直しができるように、話せない、見えない、聞こえない、動けない餓鬼阿弥(がきあみ)となって生き返り、その後、関東からはるばる熊野にたどり着きます。
そして湯の峰温泉で湯治し、元の体によみがえりました。
熊野信仰により、来世はしあわせによみがえるという教えです
簡単すぎると、よけい分からなくなりますでしょうか。
案内板の内容をそのまま記述します。
このお話は、今から凡そ六百年程前の足利時代のことである。
応永三十年、小栗満重(茨城県・小栗城主)は、鎌倉管領・足利持氏の軍に攻められ落城、その子助重(小栗判官)は父の命を受け小栗家再興を誓い十勇士を共に夜陰に利して小栗城を後にした。
小栗主従は三河国 (同族)をさして落ちのびる道中、相州(神奈川県)にて郡代・横山大膳に正体を見破られ酒盛の場で毒殺されようとする。
照手姫(てるてひめ)の機知により一命を取り止めその場を逃れたものの毒のため重病の身となるが相模の国藤沢遊行寺十四代・大空上人に助けられ、熊野を目ざして難渋な旅を続け、道中幾多の人々の助けと照手姫の献身的な努力と情愛に支えられ湯の峯温泉にたどり着き、熊野権現薬師如来の加護と薬効名高き霊泉に浴すること百日余り、みごと本復し小栗家再興を成しとげる。
この物語が室町・江戸と今日に至る長い年月大衆文化と共に伝承された陰には熊野信仰や時宗聖(遊行僧)の説く仏教思想の影響も多大で書物や芸能文化として各地に生き続いてきました。
又夫のために身も心もささげた照手姫の愛の物語でもあります。
当地には、小栗判官にまつわる史跡「つぼ湯・車塚・力石・まかずの稲・一遍上人爪書の岩・小栗街道」などが残されております。
本宮町
本宮町観光協会
こういう逸話、教え、伝説を広めた立役者は:
〇念仏聖(ねんぶつひじり:寺院を離れて念仏を営み極楽往生を志す僧)
〇熊野比丘尼(くまのびくに、中世から近世にかけ、地獄極楽の絵解きをしながら信仰を広めて歩いた尼僧)
〇説教師(神仏などの教えを説く人)です。
歌舞伎と浄瑠璃でも題材となっているので、物語の内容はさまざまに異なって存在してます。
小栗判官と照手姫 (おぐりはんがん てるてひめ)
小栗判官がこの湯に浸かり、死から蘇生したと伝えられる温泉です。
照手姫とのラブ・ストーリー。
子宝を望むカップルは是非どうぞ。
小栗判官物語のまとめ
中世から近世の人々は素朴な気持ちで、小栗判官物語を信じて、熊野古道を歩き、小栗判官の「よみがえり」を自分自身に求めていたのかもしれません。
湯峯には、小栗が蘇生したとされているつぼ湯をはじめ、餓鬼阿弥となった小栗を乗せた土車を埋めた「車塚」、小栗が復活後、体力を試したという「力石」が残っています。
また、小栗が髪を結わえていたワラを捨てた場所には、毎年、稲が実るという「まかずの稲」があります。
この物語がいかに深く熊野詣での人々に親しまれていたか、そして、熊野に行くと、傷ついた肉体も魂も死からよみがえり再生するということを力強く語っている物語といえるのではないでしょうか。