熊野三山とは
熊野三山(くまのさんざん)とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社のことです。
田辺市本宮町の熊野本宮大社で三社がそろいましたので、特に三社の深い関係を、一部ここでまとめます。
そもそも全体を網羅することは、できないので、「一部」というーそういう単純な意味です。
熊野総本社とは
日本古来の神道では、神霊は無限に分けることができます。
そして、分けて分霊して(勧請、かんじょう)も、元の神霊には何の変化、影響も起こらず、分霊も本社の神霊と同じ働きをします。
その神を分霊した神社は、総本社もしくは総本宮とよび、祭神を勧請した神社を分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)といいます。
熊野三山の祭神である熊野権現(熊野三山の神々を本地垂迹思想のもとで権現といいます)の勧請を受けた神社を総称して熊野神社といいます。
平安時代後期から中世以降、熊野詣が盛んに流行し、有力者が荘園を寄進し、熊野先達が活躍することにより全国に熊野信仰がひろまりました。その結果、熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立し熊野神社ができ、総数は、2500、3000余、4000余ともいわれています。
それで三社とも熊野総本社、総本宮となっているのですね。
熊野三所権現とは
熊野三山には主祭神があります。
それぞれが複雑な名前です。それも一つではなく、複数あるという。
また同じ神でも、背景により名前が違ってきます。
熊野那智大社は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
熊野速玉大社は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
熊野本宮大社は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、もしくは熊野坐大神(くまのにますおおかみ)
速玉大社と那智大社の熊野夫須美大神は、熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ)で、牟須美は結とも書きます。
合計3社の三柱(みはしら)の神様を熊野三所権現といい、三山とも、お互いで、この神様を祀っています。
三山の強力な関係がここに示されています。
また、主神だけではなく他の神様も含めると合計で12柱(じゅうにはしら)あるので、熊野十二所権現ともよばれるのですね。
熊野三山とパワースポット
熊野と熊野三山がいかに強力なパワースポットなのかということを、さまざまな角度から発見していきます。
(熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社です。)
パワースポットとは?
パワースポットという言葉―既に日常語になっているのではないでしょうか。
英語ではなく和製の英語です。
それ故、何がパワースポットなのか、具体的に説明しないと英語で相手に伝わらないでしょう。
日本語で説明しようとしても一通りでは終わらない内容なので、英語では、よけい、やっかいになるかも。
それはさておきー
個人的にはパワースポットに行って「癒し」、「生命力」、「明日へのエネルギー」をもらいたいと願います。
みなさんも、お気に入りのパワースポットが既にあるのではないでしょうか。
心で感じるパワーは、当然、みんな違ってきます。
「allabout」でパワースポットのリストがありましたのでお借りします。
どうぞ参考にしてください。
1神社、仏閣
2 霊山(山岳信仰の対象となった山)
3 温泉、湧き水、水蒸気、ガス、溶岩、火山など、地中からの物質が出ているところ。
4 電磁場のあるところ
5 滝や森林など、マイナスイオンが大量に発生しているところ。
6 龍穴(風水でいう大地の気が吹き上がるため繁栄される土地)上にある建物
かなりの広範囲ですね。
しかも、科学や学問では解析されない、不思議なスピリチュアルな次元にある場所ということらしいですね。
富士山もパワースポットです。
古代から、自然崇拝で始まった熊野三山がどういうふうにパワースポットとして人々に深く敬愛されているのか、お話しさせていただきます。
パワースポットの熊野三山
紀伊半島の南部、熊野は、パワースポットといわれています。
古代より、熊野三山という熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社があります。
この三社は、そもそも、熊野川、巨岩、那智大滝などへの信仰を根源とする自然崇拝から始まり、それぞれルーツが違っていました。
平安時代後期には、三社で熊野三所(十二所)権現を祀りあい、お互いに連携し発展していきます。
つまり、具体的には:
本宮は、熊野川の中洲にあるので、川と自然の恵み、食べ物の恩恵を神格化し、主祭神は家津御子大神(けつみみこのおおかみ、 すさのおのみこと)
新宮は、熊野川の河口近くにあり、熊野川と黒潮の水勢を崇拝し、主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ、いざなぎのみこと)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、いざなみのみこと)の夫婦神
那智は、大滝を崇める自然信仰や聖水への崇拝が根源となり、主祭神は、熊野夫須美大神(くまのふすみおおかみ、いざなみのみこと)
というのが主祭神です。
(この情報は至る所で出現します、ご了承ください。)
パワースポットとは日本第一大霊験所のこと
熊野三山の「日本第一大霊験所」とは、奈良時代の孝謙天皇から与えられた称号とされています。
貴族、武士、庶民という身分と性別を問わず、すべての人を受け入れ救うという、当時の日本で一番、霊験(れいげん)あらたかな場所であるという意味を持ちます。
「霊験」とは、神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ、祈りに対して現れる利益(りやく)をいいます。
霊験あらたかの「あらたか」は漢字ですと「灼(あらた)か」と書きます。
灼熱の灼ですが、灼熱のように、はげしい様子を表しています。
主に神仏の力に用い、天罰覿面(てんばつてきめん)という場合でも「神仏の力が、はげしく起きている」という意味で使います。
つまり、「あらたか」とは神仏の利益が際立っている、神仏が明確に感応するという意味です。
それ故、「霊験(れいげん)あらたか」は「神や仏からのご利益が著しく現れること」ということです。
熊野は霊験あらたかな、日本第一大霊験所のパワースポットです。
熊野は異界の入り口
熊野は聖地と、いわれます。
海と山に囲まれた独特の空間に、神々の霊が隠れるという独自の聖域をなし、そこを古来から「熊野」と称してきました。
「熊野」という名前―解釈はさまざまですが、その一つに、「熊」を「隅(すみ)」とすることがあります。
「隅、すみ」とは都から見て南の「辺境の地」ということです。
樹木が鬱蒼と繁り、神霊が隠れ籠る神域です。
古代から本宮、新宮、那智の熊野三山が、神仏習合の熊野権現として、朝廷からも庶民からも信仰を集め、
日本を代表する山岳霊場を形成するという根拠が、ここにありました。
聖地として、辺境、辺地、異界であることの意義は大きく、当時の都の人々は南方を目指し、遠くの黒潮の海に憧れたことでしょう。
異界の南国に太陽がふりそそぎ、理想の郷(さと)と憧憬したことでしょう。
熊野がよみがえりの奇跡を実感させる、よみがえりの聖地とよばれる根拠がここにあります。
常世(とこよ)とは?
熊野は異界、黄泉の国、常世の入り口、他界の信仰の聖地とされてました。
常世とは、他界観の一つで、海のかなた、もしくは、地下にあると信じられた理想郷のことです。
永久に変わらない神域で、黄泉国(よみのくに)、死者の住む冥界と同じです。
祖先の霊魂、神々が住むとされ、永久不変、不老長寿、富の理想郷として憧憬されました。
そして、11世紀、平安時代には、あの本地垂迹説が登場し、仏が神の化身となって現れるようになりました。
主神である三所権現の本地仏(本来の仏)は、本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智は千手観音です。
本宮の、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)は「証誠殿」に祀られ、西方浄土の阿弥陀仏の功徳を、諸仏が証誠(証明)したとされています。
地理の位置としても、本宮が西方の阿弥陀仏の極楽浄土の中心とみなされたのが理由です。
新宮は、薬師如来のいる、東方瑠璃光浄土に、那智は、観世音菩薩の住む南方の補陀落浄土とされたのも地理上のおおよその方位からでしょう。
このように、熊野の主祭神が浄土思想によって説明され、熊野が広義の浄土とされ、仏教的な観点からも熊野三山として、その地位を確立したのでした。
南紀熊野ジオパークの観点からいうと?
熊野三山周辺の自然環境は、約1500万年前に活動した「熊野カルデラ火山」によってできた熊野酸性火成岩類の岩体が特徴としてあります。
この地質学的条件は、その後の霊場成立と実は密接につながっています。
特に熊野花崗斑岩による硬い柱状節理をなす岩体は、那智大滝、神倉山のような急峻な峰、壁をつくり、湯の峰温泉などの温泉を湧出させています。
巨岩は節理によって縦横に風化し、奇岩や洞窟を形づくります。
それ故、熊野は山岳修行と霊験を感受する理想的、格好の舞台となったのでした。
また、気候が温暖多雨のため、鬱蒼とした常緑広葉樹に恵まれたいわゆる照葉樹林の森が繁茂しました。
山々の深い青い森と固い岩質から、清水が勢いよく流れ、滝をつくり、急流となって美しい熊野の海に流れ出ました。
「山が海に突っ込んでいるような」といわれる、その風景です。
このような熊野の自然環境が、おのずと畏怖を伴った宗教感情を古くから育て、熊野独特の宗教環境を背景に、異界感、他界感を増幅させてきました。
まさに、神々の住む郷、山岳修験道場、現世の浄土としての熊野です。
現世と来生の救済を保証する「蟻の熊野詣」
9世紀以降の平安時代、この山岳信仰と浄土信仰が盛んになりました。
特に皇族、貴族の熱心な信仰が集中し熊野御幸となりました。
宇多上皇、延喜7年(907年)から亀山上皇、弘安4年(1281年)まで―9人の上皇が100回以上も詣でています。
鎌倉時代以降は、身分を問わず庶民にも広まり「蟻の熊野詣」と形容されました。
人々は精進、潔斎(心身を清める)をして、困難な山と坂を超え、自己の罪を滅し、「現世安穏(げんぜあんのん)」、「後生善処(ごしょうぜんしょ)」を熊野権現で保証してもらおうとしたのです。
よみがえりの実感、体得です。
そして、あらゆる人びと、社会的弱者にも開かれた霊場でした。
「一遍聖絵」の布教は、「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」行われました。
女性や身分の差、障がい者など、浄不浄の差別なく、受け入れる中世最大の魂の救済霊場として崇拝されたのです。
以上、聖地、熊野には、「超自然的存在が出現する場所」という意義と歴史をお話しいたしました。