五條新町

五條新町という“文化財”の町

「重要伝統的建造物群保存地区」とは、日本の文化財保護法に基づく文化財の一つ。
市町村が定めた伝統的建造物群保存地区のうち、特に価値が高いと国が認めた地域が、正式に“重伝建”として選定されます。一般には「重伝建地区(じゅうでんけんちく)」や「重伝建(じゅうでんけん)」と略されることもあります。

五條新町の重伝建地区は、地域の西川東岸に広がる「五條」エリアと、吉野川の北を平行に走る旧紀州街道沿いの「新町」エリアという、二つの異なる町並みから成り立っています。

西川

西川

中世を起源とする「五條」の町並みは、間口や奥行きの異なる不規則な構成で、大規模な町家が面的に広がるのが特徴。一方で「新町」は、近世初頭に築かれた二見城の城下町を起源とし、間口・奥行きが揃った整然とした町並みが形成されました。

江戸時代初めに成立したこの町には、今もなお重厚な町家が建ち並び、商家町としての風情と営みの痕跡を色濃く残しています。

奈良県の重要伝統的建造物群保存地区は3ヶ所

奈良県内で「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されているのは、
五條新町、橿原市の今井町、宇陀市の松山の3ヶ所です。
このうち、五條新町は2010年(平成22年)12月に選定されました。
橿原市の今井町は1993年(平成5年)、宇陀市の松山は2006年(平成18年)の選定です。

五條新町

五條新町

橿原市の今井町

橿原市の今井町

宇陀市の松山

宇陀市の松山

町の“顔”と出会える場所――古民家公開の2軒へ

通り沿いには、今も人が住まう大きなお屋敷がいくつかあり、普段は立ち入れませんが、まれに地域の行事などで公開されることもあるそうです。どれも建築的にも歴史的にも重厚な佇まいで、通りを歩くだけでも目を奪われます。

お宿 さつき 奈良五條新町

お宿 さつき 奈良五條新町

🏨山田旅館の謎――「営業中」の札と、かかった鍵

新町通りを歩いていて、まず気になったのがこの山田旅館。現在も営業していると知り、「これは!」と真っ先に訪問しました。

事前に電話もしてみたのですが、応答はなし。それでも玄関にはしっかりと「営業中」の札が出ていて、期待しつつ引き戸に手をかけると……ガチャン。固く施錠されていました。

山田旅館
山田旅館

山田旅館

「え?」と思いつつ、2回、3回と改めて訪れてみたのですが、やはり同じ。営業中なのに、開いていない。理由は分からないままです。でも、こういう曖昧さ、私はなぜか嫌いじゃありません。むしろ、この“ふわっとした気楽さ”こそが、五條新町らしさだと思っています。

たとえば、「今日はちょっとお出かけしてます」くらいの感じかもしれないし、逆に「やってるかどうかは運次第」なスタイルを貫いているのかもしれません。
観光地として整いすぎていない、こうした“余白”に出会えるのも、この町の魅力のひとつなのです。

🧶通りの全体感と距離感

新町通りはそれほど長くありません。体感で800mほどでしょうか。道沿いにゆったり歩いても30分程度で往復できるサイズ感です。

まちなみ伝承館 NPOスタッフが丁寧に案内

住所:五條市本町2-7-1
電話:0747‐26-1330
開館:9時から17時まで(入館は16時まで)
休館:水曜日(祝祭日にあたる場合は翌日)
年末年始(12月25日~1月5日)

まちなみ伝承館

明治から大正にかけて建築され、元はお医者さんの家とお聞きしました。

まちなみ伝承館

医院の受付窓口、現在は文化財課の街並保存整備室となってます

家の改築をする住民は、ここで相談して有益なアドバイスを取得するのだそうです。
まちなみ伝承館では、たまたま案内の女性を独り占めできるという幸運に恵まれ、じっくりとお話を伺いました。

レトロのテレビ

レトロのテレビ

江戸時代から続く町並みで、住人の多くもその時代からの系譜に連なる家系とのこと。
建物は「まち並み保存のための法律」に基づいて規則的に建てられているとのこと。
「嫌です」と言えば建てられない仕組みになっているそうです。

陽だまりに庭が映える縁側

陽だまりに庭が映える縁側

私:「嫌って言う人もいるんじゃないですか?」
案内人:「いませんね」とのご返答。
ですが、私の目には、どう見ても今風の新築がいくつか建っているように見えたのです…。これは私の勘違い?それとも、保存規制の“区画外”や例外規定かもしれません。

誰も上がらない階段が、一番光っていた

誰も上がらない階段が、一番光っていた

🏠格子戸の“パッチワーク”が見せる意地と伝統

町中に1軒、とても印象的なお宅がありました。
格子戸は、まるでパッチワークのように木材で補修されていて、味わい深い雰囲気です。普通なら、こういう場合アルミサッシでやってしまいそうなところを、ちゃんと木で、しかも格子を守っている。

あえてのパッチワーク?いえ、たぶん必然の芸術です
あえてのパッチワーク?いえ、たぶん必然の芸術です

あえてのパッチワーク?いえ、たぶん必然の芸術です

格子の隙間から家の内部が…

格子の隙間から家の内部が…

これは見た瞬間、「ああ、この町は“外からの見え方”を徹底して守っているのだな」と思わされました。
案内人の話によれば:
・外壁・外観は法律にのっとって修繕・新築が厳格
・反面、内部の改装は自由なのだそうです
つまり、このパッチワークの格子戸は、外観に対する“町の意思”の象徴とも言えるのかもしれません。

📝まとめ:外から見て美しく、中は自由に暮らす町

五條新町は、単なる古い町並みではありません。
「美しさを守る」ための仕組みと、人々の努力と知恵の蓄積がその奥にあります。
それを一枚の“格子戸のパッチワーク”が、無言で語ってくれていました。

まちや館 住居感のある古民家で過ごす静かな時間

住所:五條市本町2-6-6
電話:0747-23-2203
開館:10時から16時まで
休館:月曜日・木曜日(月曜日・木曜日が祝日の場合は次の平日)
年末年始(12月25日~1月5日)

まちや館の前の通り
まちや館の前の通り

まちや館の前の通り

築250年という江戸時代後期の建物──それが「まちや館」です。約30年間、空き家になっていたこの町家を、五條市が買い取り、3年の歳月をかけて丁寧に修復しました。
かつては「油屋」という屋号の米問屋で、五條新町に残る約160件の伝統的建造物のひとつです。また、戦後に法務大臣を務めた木村篤太郎氏の生家としても知られています(母方の実家・辻家)。歴史的にも、建築的にも、静かな重みのある町家です。

思わず足を止めた、横の路地。時間の層が、奥に続いているようでした

思わず足を止めた、横の路地。時間の層が、奥に続いているようでした

旧辻家住宅の間取り図

旧辻家住宅の間取り図

玄関近く

玄関近く

玄関近く

通りに面した格子窓

スタッフが常駐し、来館者ごとに説明してくれる温かさ

来館者が困らないように、スタッフの方が要領よく建物の概要を説明をしてくださいます。
入口で簡単な案内を受け、それに従って自由に見学するスタイルです。
学術的な解説や深い話まではありませんが、気になることがあれば、質問にやさしく応じてくださいます。

小学生の時の思い出

玄関近く

「SPECIAL」という名前入りのミシン

この「SPECIAL」と書かれた古いミシンを見て、小学生のころのことを思い出しました。私の服はいつも、宇久井の家でおばが縫ってくれていたもの。人の服ばかりを縫っていたおばが、私のためだけに、毎年1着、2着と作ってくれていました。

生地は、大阪の金持ちの親戚が「これで、あの子に」と送ってくれたもの。だから、仕立ても生地も良くて、友達からは「お金持ちの家」と勘違いされていたけれど、実際は1円もかかってなかったんです。

このミシンも、たぶんそんな時代にあったかも。私にとっては、ただの「レトロ」ではなく、人生で最初に“服が生まれるところ”を見た記憶のミシンです。

キッチン

土間には昔ながらのかまどやキッチン用品、そして井戸も残っており、当時の生活の気配がそのまま感じられました。

土間とかまど

土間とかまど

キッチン用品

キッチン用品

かまどの横
井戸もあります

井戸もあります

木村篤太郎の勉強部屋

中学校まで使っていたという勉強部屋が当時のまま残っていました。さらに、旧制高校時代(鹿児島)に両親へ送った手紙も展示されており、旧制高校生とは思えない達筆ぶりに驚かされます。

2畳ほどの勉強部屋

2畳ほどの勉強部屋

旧制高校生でこの筆跡。鹿児島から両親へ──若き日の木村篤太郎の一通

旧制高校生でこの筆跡。鹿児島から両親へ──若き日の木村篤太郎の一通

一番奥、米蔵だった倉がトイレに

奥に長い敷地

奥に長い敷地

奥にある米蔵は、現在はトイレとして整備されていました。吹き抜けの天井と太い梁、屋根裏の構造がそのまま見える造りで、建築の力強さが伝わってきます。

真ん中に多機能トイレがあり、両側に男女それぞれのトイレ

真ん中に多機能トイレがあり、両側に男女それぞれのトイレ

多機能トイレ内部の梁と天井裏・オストメイト対応の施設

多機能トイレ内部の梁と天井裏・オストメイト対応の施設

高い天井と梁

高い天井と梁

2階の座敷はフロアリング

レトロな扉

レトロな扉

階段を上がると…

階段を上がると…

2階にはフローリングの座敷が2部屋あり、壁は赤系の塗り壁でした。和室といえば緑や土色のイメージがありましたが、この色合いは弁柄(べんがら)でしょうか? 壁に光が反射して、少しだけ“ハレ”の空間のように感じられました。

2階にはフローリングの座敷
2階にはフローリングの座敷

また、田舎風景が描かれた絵入りのガラス戸も印象的でした。すりガラスの線が語りかけるのは、かつての町家に息づいていた美意識です。

ガラス戸

最後に庭園の紹介

縁側からはお庭がよく見え、外の通り側からも入れるようになっています。屋内の静けさと、庭の自然がゆるやかにつながる構造でした。

縁側から見た、お庭

縁側から見た、お庭

通りからも入れます
通りからも入れます

通りからも入れます

まとめ

五條新町を歩いて感じたのは、「守っている町」ではなく、「生きている町」だということ。格子戸を直しながら住み続ける人、見えないルールに従って暮らす人。

まちや館では、観光客すべてに説明をしてくれる女性がいて、「どういう人が、どういう気持ちで住んでいるのか」少しだけ見えてきた気がしました。

まちなみ伝承館の室内には、誰かの手づくり品がいくつも並べられていました。その温かさは伝わるものの、個人的には展示が控えめだったまちや館の2階の空間の方が、落ち着いて好きでした。

でも、まちなみ伝承館で出会った地元の女性たちは、とても丁寧で真剣。こちらが何か質問すると、一つひとつに真摯に応えてくださって、本当にありがたく思いました。
(……曾爾村の後だったから、余計にそう感じたのかもしれません。冗談です^^)

ただ「歴史的建造物を見る」だけじゃない。そこに息づくものを知りたくなる町でした。