ジオパークうぐい

ジオパークとしての宇久井半島って?

突然、地質学の話になります。

正直言って、普段は、こういうことを、あまり考えないですよね。
自分の足の下の土の中のことは、正直、全く話さないです。

興味があればお読みください。
興味がなくとも、サラーッと読んでいただけると嬉しいです。
書いているうちに思ったのですが、実は学校で勉強した内容とほとんど同じなんです。
なんだか、なつかしくなりますよ。

南紀熊野ジオパークを通して見る宇久井半島

「何故、美しい海岸が、広がっているのでしょうか」と問われてたら、あなたなら、どう答えますか。

そこで、ちょっとだけジオパークを知ると回答の助けになるのでは、と。

こういうことをいう理由は、それこそ、私は、何も知らなかったからです。

それで猛勉強いたしました。
が、少々読みあさって、勉強しただけでは理解できることではありませんでした。
というか、みなさんは、既によくご存知で、私が知らなかったといったほうが正しいですね。

書いている内容が間違っていたら、ごめんなさいと先に言っておきます。
責任は全く、とれませんので、ご了承ください。

最初の質問にもどり、「どうして、そんな美しい地形になっているのか」です。
その秘密の鍵はジオパークにあります。


ジオパークとは、ジオロジー(Geology)地質学とパーク (Park)公園を併合した造語です。
どういうことかと言うと、科学的、文化的に貴重な地質遺産を含む自然の公園のことを指します。

楽しく鑑賞し、感動し、勉強し、結果として恩恵を直接、受けるという、一挙両得ならず、一挙十得(私の造語です)みたいなもので、内容が濃い、おいしいコーヒーのようなものです。
冗談です。

この地域は、南紀熊野ジオパークといいます。

更新世(こうしんせい)とは世界の氷河期だった

地球が誕生したのは46億年前です。
そして、約6600万年前に恐竜が絶滅した後、人類が出現したのが約 258万年前とされています。
この約258万年前から約 1万1700年前の期間を更新世(こうしんせい)といいます。

この時期は、氷河時代となりました。
陸地の約4分の1もが、南極のような氷のかたまり、氷の陸地となっていたそうです。

氷期と間氷期を数回繰り返し、海水準(陸地に対する海面の高さ)の変動、生物の種類の変遷、火山活動等、地球上に大きな変化が繰り返し起った、激動の時代です。

海水準(海の高さ)が上昇し、海が陸地に入りこんでリアス式海岸や海生断崖を作ることを海進(かいしん)といいます。

反対に、海面が下降し、海底が見えるようになり大陸となることを海退(かいたい)といいます。
海退により、堆積物が貯まった平らな海底が平野となります。

この氷期と間氷期が繰り返されて、最後の氷期が終わったのが約1万1700年前とされています。

日本列島ができる前、気候の寒冷化があり、とても寒かった時期だったのですね。


そして氷期と間氷期が交互に訪れていたのが、更新世=氷河期だったということです。

約1万年前、日本列島が大陸から離れ今日の列島が形成されました

この時代になると、 完新世(かんしんせい)といいます。
現在の時代も含め、完新世です。

この約1万年前から始まった完新世は、暖かく、地球の氷河期も終了し温暖になるので、列島が大陸から離れ、日本海ができ、私たちが目にしている日本列島となったということです。

おまけに暖かい海流の、黒潮海流があったので、日本列島は、よけい温暖となりました。

もう少し具体的に詳しく話します。

大雑把に言って、約2万年前からの最終氷期が終わり6000年前頃までは、地球の気温は徐々に温暖化していきました。

この間、日本列島は100m以上も海面上昇をしています。

日本では、この時代は縄文時代の初期です(1万3000年前から6000年前のことです)。

日本が列島として形成された後、気候の温暖化に伴い海岸線が内陸へと進みました。

約6000年前には海面が現在より4mから 5mほど高くなり、有名な縄文海進という名前となってます。

今より気温が約2度高かったということです。

旧石器時代から縄文時代に

縄文時代とは、日本独特の呼び方で、日本では旧石器時代から縄文時代(新石器時代)に入ります。

今から14000年位前から2300年位前まで約1万年間の長い時代です。

縄文時代、日本では、狩猟、採集、漁労をして生活していた時代でした。

形や文様が独特の縄文土器も発見されていることから豊かな文化を持っていたといわれています。

その後、長い歴史の中で海面は現在の高さまで低下し、入り江は堆積物で埋積され水田などに利用されるようになった比較的広い平野ができました。

海の高さは長い地質学の歴史の間で高くなったり、低くなったりしていたということです。

また、7300年前には鹿児島県の南方、約50㎞の海面下で海底火山が超大噴火が起こり、西日本一帯から東北地方にまで火山灰が積もったとされています。


これにより、南九州に住んでいた、本州より豊かな最先端の生活をしていた縄文人が全滅しました。

長い地質学の歴史の中で、火山活動が活発にあったということを追加して説明してみました。

専門の知識を持つ学者さんだったら簡単にご存知な事柄を並べてみました。

同時に不完全な説明になっているかもしれません。

考え方も、それこそ諸説があるようですし、これという定説はないのではないでしょうか。

宇久井半島の先端は国立公園となっており景勝地です。

この歴史がどう具現され、背景がどうなっているかを少しだけでも知れば、地形の美しさの背景が分かり、もっと身近な存在として感じるのでは、と、あえてお話しいたしました。

南紀熊野ジオパークって

あなたは、ジオパークという言葉を知ってますか。

あまり聞きなれない言葉かもしれませんね。

この地域一帯を南紀熊野ジオパークといいます。

具体的には、次の10市町村のことです。

①新宮市
②白浜町
③上富田町
④すさみ町
⑤那智勝浦町
⑥太地町
⑦古座川町
⑧北山村
⑨串本町
⑩奈良県十津川村の一部

2014年に日本ジオパークに認定されてます。

ジオパークには、何十億年前から、存在していたであろう国土、大地のなりたちの歴史、地層、地形までをも楽しみ、学んでいこうという目的があります。

自分の足が立っている下の、大地を「地質遺産」となし、その、なりたちを知り、歴史、文化、動植物、食を介して、未来をも見通そうという実践活動です。

まさに、自分の立ってる足の下がどうなっているかを知ることは大きな喜びです。

それを知ることができれば、未来がどうなるのか、どうしたいのか、分かってくるのでは、と予想できます。

ユネスコ世界ジオパーク

日本ジオパークの、さらに上の概念としてユネスコ世界ジオパークがあるのだそうです。

文部科学省のHPから以下に引用します。

ユネスコ世界ジオパークとは「国際的に価値のある地質遺産を保護し、そうした地質遺産がもたらした自然環境や地域の文化への理解を深め、科学研究や教育、地域振興等に活用することにより、自然と人間との共生及び持続可能な開発を実現することを目的とした事業です。」ということだそうです。

この世界レベルのジオパークに、日本では9地域が登録されており、その内容を見ると納得いたします。

①洞爺湖有珠山
②糸魚川
③島原半島
④山陰海岸
⑤室戸
⑥隠岐
⑦阿蘇
⑧アポイ岳
⑨伊豆半島

宇久井半島近辺では、具体的には、宇久井半島そのもの、大門坂、那智の滝、弁天島とお蛇浦(べんてんしまとおじゃうら)、勝浦温泉、などカラフルにあります。

熊野那智大社の、ご神体である、神聖な、那智の滝の地質学的な意味って、興味ありませんか。

宇久井半島も、あんな小さな半島と言ってバカにしてはいけませんね。

かなり複雑、内容が濃いです。

複雑であればあるほど、少しでも謎解きしたいと思いませんか。

地質学でいう時間枠

地質を考える時は、「地球の誕生は48億年前だった」というようなことをいいます。


そうすると、十年一昔(じゅうねんひとむかし)というような尺度では到底、話にならない、想像もつかない次元となります。

そういう時間枠で考えるというのが地質学と仮定します。

訳の分からない話になりますが、こういう目もくらむような、永遠のような時間の尺度を、一時的にでも使うことにしようと仮定いたします。

一例として、私のお気に入りの地玉の浜(じごくのはま)では、そこ一帯にある、美しい野性的な岩石は1500万年前から1400万年前の活発な火山活動の時期に、地下から流出したマグマが冷えて、できた岩、岩礁だそうです。

特に、熊野酸性火成岩といいます。

火成岩とは、マグマが地表または地下で固まって出来た岩石のことです。

学校で習いましたので、ちょっと聞くと、記憶が蘇る方もいるのではないかと思いますが、私にとっては、忘却の彼方になっていて思い出すのに時間がかかりました。

火成岩の種類として、流紋岩(りゅうもんがん)、花崗岩(かこうがん)、安山岩(あんざんがん)、閃緑岩(せんりょくがん)、玄武岩(げんぶがん)等があります。

この近辺の火成岩は花崗斑岩(もしくは流紋岩)というそうです。
花崗岩と似てますが、ちょっと成分が違うらしいです。
花崗岩と聞くと、おなじみなので、何の疑問も湧きませんよね。
ここの花崗岩と似た石は、名前を紀州御影といいます。庭石に最適です。

これらの岩石は、それぞれの差異は、成分、色等にあり、すべて親戚のようなもので、名前だけが変わります。
ちょっとだけの差で、名前が変わるんです。
複雑、煩雑でしようがないということになりますが、専門家さんには、こういうことをいうと、「とんでもないことをいう」と叱責されるか、冷笑モノですよね。すみません。

あえて、そこは目をつぶってます。

マグマが地表に出る、もしくは、地下で冷えた結果として出来た岩を、それぞれの小さな特徴、条件により、名前が違っているということにします。

冗談はさておき。
宇久井半島の東は、吉野熊野国立公園の「第2種特別地域」という保護区に指定されてます。

この地域一体が、ある特別の使命を持つごとく、地域の人々により保存、維持され、美しい自然の宝庫が、すぐに手に届く距離、いわば「目と鼻の先」にあります。

そして、その地質、地域の生活の支えとなっている土台が、熊野酸性火成岩という、はるか遠くの時代の、とてつもない大きな火山の噴火活動によってできた結果ということを知ると、この地域の魅力が倍増するように感じるのは私だけでしょうか。

地玉の浜に行くと、波打たれている岩礁が、身近に感じてしまいます。


ご存知のように、現在、紀伊半島には、活火山はひとつもありません。

もう少し具体的にお話しいたします。

熊野カルデラとは

繰り返しになりますが、宇久井半島の山、森林、生き物、海の美しさは、どうしてできたのでしょう。

実は1500万年前から1400万年前に、南北直径41㎞東西直径23㎞という、串本から熊野辺りまでの地域をカバーしてしまうほどの巨大な熊野カルデラがあり、おそらく活発に活動していました。

そして、約1400万年程前に1度だけ噴火しました。


その時の火山灰の厚さは、なんと2000メートルといわれ、地球全体の気温は10℃以上低下、大量絶滅が起きたということです。

随分前のことなので、当時の地形は、ほとんど浸食、風化し残っていません。

しかしながら、宇久井半島は言うに及ばず、串本から熊野市に至る辺りまでの範囲で、痕跡が残っており、奇岩、巨岩の景勝地となってます。

現在、それらが主要な観光地となっています。

以下は単なる代表的な例です。

①那智の滝

石ころ一つ動かしてはいけない
吉野熊野国立公園のスペシャルゾーン、「特別保護地区」です。

②神倉神社のゴトビキ岩

吉野熊野国立公園の「第1種特別地域」です。

③串本の橋杭岩

吉野熊野国立公園の「第1種特別地域」です。

④古座川の一枚岩

◎国立公園(陸地)の区分

一例としての那智の滝は、浸食に耐える熊野酸性火成岩類(流紋岩もしくは花崗斑岩)と柔らかい熊野層群の地層の境界にあるのだそうです。

滝が落ちる、岩石の壁面をよく見ると、岩壁が上部と下部で確かに2種類あり、違って見えます。このことをいっているのでしょうか。

単純に言うと、マグマが冷えた時にできた結果としての滝なので、日本最高の高さの133メートルのマグマのカタマリが、ここで空中に出てきた結果、冷えて固まり滝となったということのようです。

那智の滝は、那智大社もしくは飛瀧神社(ひろうじんじゃ)のご神体で、参拝者は直接に「滝」を拝みます。

私たちが目にする滝は「一の滝」とよばれ、さらに山の奥深く入っていくと、「二の滝」、「三の滝」と多くの滝があり、那智四十八滝といわれています。

個人的には、山の上の滝の奥にはいってみたいと思いますが、立ち入り禁止ゾーンですよね。
残念です。

那智の瀧の成り立ち

今まで色々読みましたが、これを見て、初めてジオサイトとして理解いたしました。
分かりやすいので掲載いたします。

地玉の浜のオーソコーツァイトの不思議な存在

地玉の浜(じごくのはま)の磯にオーソコーツァイトという丸い、小さめ(数センチ以内)の丸っこい砂岩があります。

実はこの石には、秘められたストーリーがあるのをご存知でしょうか。

成分のほとんどがSiO2という二酸化ケイ素で、クオーツ(quartz)という言葉が入っているので、石英ですね。

英語の名称は、Orthoquartziteで、日本語では。正珪岩(せいけいがん)といいます。

ガラスの光沢を持ち、灰色、白色、赤、青、黄色、褐色など多様な色を持っていて、ゴツゴツした岩石、礫(れき)ではなく、やさしい色艶を持ってます。

石英の結晶の仕方が違うと水晶やアクセサリーとなります。

実物は宇久井ビジターセンターにありますので、どうぞ、お立ち寄り、確認してください。

宇久井ビジターセンターは、2006年に開設され、「環境省 宇久井ビジターセンター」といいます。

半島を散策、訪問する際には、あらゆる疑問、問合せに答えてくれるような場所なので、先ず、センターに立ち寄ることをお勧めいたします。

展示物、案内情報も、丁寧で理解し易いです。
お手製で作っているようなのもあり、ホッとするような雰囲気があります。

HP上に、「吉野熊野ネイチャー図鑑」という、ネットの図鑑があり、便利ですよ。お試し下さい。

また、「宇久井海と森の自然塾」の愛称でおなじみの「宇久井海と森の自然塾運営協議会」があります。
後ほど、別項にて詳細記事を書きますので、楽しみにして、お待ちください。

オーソコーツァイトは「大陸からの手紙」「旅をする石」

オーソコーツァイトは、古代のユーラシア大陸という安定した大陸の砂岩のみで形成され、日本の地層にはありません。

約5億年前や約8億年前に中国や朝鮮半島でつくられ、川により海底に流され、日本列島の土台に入り込みました。

日本列島の形成が始まる5 億年前から3000 万年前、地球の表面、海底には、プレートがあり、プレ―ト同志の運きにより、海底の体積物がはぎとられて、陸側にくっついて( 付加)、付加体というものが出来上がりました。

これが日本列島の土台が、形成された過程です。

この付加が進み、紀伊半島が隆起し、その結果、オーソコーツァィトが見られるようになりました。

今でも紀伊半島は、170万年前から、ゆっくりと隆起しています。

1年に1ミリの割合だそうです。

紀伊半島のように、年間の雨量が多く、川の流量が多くても半島がゆっくりと隆起しているので山が浸食されるということはないのだそうです。

壮年期の地質といえるのでしょうか。

山々が、この上なく美しく見えます。

北の大陸から来たもので、日本列島にはなかったものなので、もし見つけたら、「日本で一番古い石を見つけた」ということになります。

ラッキーですね。

地玉の浜で、「大陸からの手紙」を見つけてみませんか。

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