熊野那智大社 那智の滝 無料駐車場

Contents
  1. 熊野那智大社 那智の滝と駐車場
  2. 熊野那智大社・青岸渡寺・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)
  3. 熊野那智大社・青岸渡寺・飛瀧神社の創生と歴史
  4. 那智の滝 飛瀧神社(ひろうじんじゃ)見どころ
  5. あじさい園
  6. 青岸渡寺 見どころ9選
  7. 熊野那智大社 見どころ7選
  8. 表参道 見どころ3選
  9. 大門坂駐車場
  10. 大門坂

熊野那智大社 那智の滝と駐車場

熊野那智大社 那智の滝の無料駐車場所は?

駐車場はいくらだと許容できる、という基準は、あなたにはありますか。

旅行の全体額と比べると少額ですが、無料で駐車できるとなると、不思議に、なんとなく嬉しくなります。

駐車場料金だけは別のお財布でしょうか。

それはともかく。

先ず、自家用車で参詣に行かれる方がほとんどと仮定して4ヶ所の無料駐車場のご紹介をさせていただきます。その後、有料もしくは条件付き無料駐車場のご説明となります。

ご存知の通りバスもありますし、ツアーもありますので、そちらがいいという方は、どうぞ。

熊野那智大社は、那智大社、青岸渡寺、那智の滝の飛瀧神社(ひろうじんじゃ)を含め、那智山(なちざん)の麓に位置し、参詣者は一番下の駐車場(大門坂駐車場)辺りからだと100メートルほど標高が上がるそうです。

足腰に自信がない場合、小さなお子さんと参詣する場合、高齢者や身体にご事情がある場合等、ひとそれぞれの選択になります。

それぞれの特徴を記しているので、選ぶ際の参考にしてください。
最終的に選ぶのは自己責任となります。

上っていく階段のステップ数が半端でない(467段)ので、体力勝負になりますよね。

1 大門坂駐車場

あまりにも有名な、あの「大門坂」の近くにある無料駐車場です。

東牟婁郡那智勝浦町市野々3034-2(県道46号線沿い)
24時間使用可能 100台位

歩き始める前に駐車場内のトイレに行くのが賢明かと。
「杖」は万が一のためにお借りするといいですね。
途中で返却できます。

時間をかけて、ゆっくり楽しみたい時のベストチョイスです。
全行程、3~4時間ほどかかりそうですね。

大門坂入口まで徒歩3分、→熊野那智大社、那智山青岸渡寺参道入口まで徒歩30分、→熊野那智大社、智山青岸渡寺まで徒歩15分、→那智の滝まで徒歩15分

滝の近くにバス停があるので、事前に発車時刻を確認して、滝に参拝し、バスにて駐車場に戻ることもできます。2区間で250円です。もちろん歩きもおすすめです。

2 那智の滝前駐車場

この駐車場は使用禁止になってます(2023年6月)。

東牟婁郡那智勝浦町那智山
24時間使用可能
5台

駐車台数は5台(1台身障者用)までという、駐車できたら超ラッキーですね。
那智の滝のすぐ近く、飛龍神社の鳥居の前、「那智の滝前」バス停近くのカーブの所、公衆トイレの横です。

那智の滝まで徒歩2分、青岸渡寺まで徒歩12分、熊野那智大社まで徒歩13分

3 和か屋本店駐車場

東牟婁郡那智勝浦町那智山456
参道入口の前にあり、利便性がいいです。

第1駐車場は24時間使用可能 
お店近辺に第4駐車場まであり台数に余裕がありそうです(50台位)。
営業時間 8:00~17:00

お客様専用駐車場として、特別のご配慮で、駐車場を提供して下さっている様子です。
基本的には、お店を利用する参詣者用の駐車場です。
多目的トイレを含めトイレがあります。
佃煮等、地元の特産品も販売してます。
お土産の買い物も含めて、ホッとする一時、ここで一休みはいかがでしょうか。

熊野那智大社に行くには、青岸渡寺駐車場(有料800円)の次に近いのが、この駐車場です。
那智山の手前の有料駐車場が空いていて入れそうだとしても、ここまで来て確認するのも一案です。
何事もケースバイケースなので駐車できない場合もあります。
臨機応変にご対応お願いします。

那智の滝入口まで徒歩9分、那智大社(467段)、青岸渡寺(445段)まで徒歩7分
2023年の秋、またまた参詣し、その折、車を駐車いたしました。

外からみての通り、内部インテリアも、和様式でおしゃれです。

お滝もち茶屋

前回は、お店の奥、「お滝もち茶屋」で、ゆっくりできなかったので、今回は時間をとりました。

お店の奥、中央に鎮座していた箪笥と和スタイルの飾りが、素敵で、おもわず写真にしました。

レトロでいいですね!

お滝もち茶屋

温州ミカンジュースをいただいたのですが(450円)、氷入りで、疲れた体にフィットする、おいしさでした。

テラス席から、那智の滝が見えます。

残念なことに、満席で座れませんでした。

どこが一番良い席なのか、みんな知っているという・・それも皆さん、外国人でした。

「お滝もち」は、お茶といっしょに300円で、おすすめです。

延命長寿を祈念して作っていただいてるそうですよ。

内部の写真を少しだけ。

置物

4 貝岐(かいはみ)商店駐車場(400円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山712
営業時間 6:30~16:30

食事をすると駐車料金が無料になるという条件付きです。
席によっては滝を見ながらの食事ができます。

約15台、道路を挟んで両側にあります。
1回400円と最安なので、ケースバイケースで。
立地がいいので観光には好都合です。
トイレあります。

青岸渡寺まで徒歩9分、熊野那智大社まで徒歩10分、那智の滝入り口まで徒歩8分

ここから以下、有料駐車場を、那智山麓を上がっていく順序でご案内いたします。

5 那智の滝第一パーキング(500円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山
営業時間6:30~16:30
40台位

標高が一番低い場所にあります。
坂道の途中にある那智の滝に5分と近い駐車場。
近くの美山亭にてお食事、お土産、ソフトクリームの割引があります。

青岸渡寺まで徒歩13分、熊野那智大社まで徒歩14分、那智の滝まで徒歩5分

6 那智の滝第二パーキング(500円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山
営業時間6:30~16:30
20台位

滝まで比較的平坦な場所。
近くの美山亭にてお食事、お土産、ソフトクリームの割引があります。

那智の滝の入り口まで徒歩4分、青岸渡寺まで徒歩11分、熊野那智大社まで徒歩12分

7 奥之院パーキング(500円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山
営業時間6:30~16:30
20台位

赤い鳥居が目印
青岸渡寺まで徒歩10分、熊野那智大社まで徒歩11分、那智の滝まで徒歩5分

8 那智山観光センター駐車場(500円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山442-2
営業時間9:00~17:00
0735-55-0637
70台位
標高257m

土日祝、年末年始、お盆・ゴールデンウイーク等の大型連休は、普通車1台500円ですが、それ以外は無料です。

トイレあります。
お土産5%割引券がもらえます。

青岸渡寺まで徒歩11分、熊野那智大社まで徒歩10分、那智の滝まで徒歩9分

9 青岸渡寺駐車場(800円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山
営業時間5:00~16:30
30台位
標高330メートル

青岸渡寺までは徒歩2分、熊野那智大社まで徒歩3分、那智の滝まで徒歩15分

那智山の一番高い所にあり、那智大社、青岸渡寺に直結してます。
石段の昇り降りなしでの参拝が出来ます。
体力や足腰に自信のない場合に最適です。
同時に、那智の滝には約15分ほどかかり少々遠くなり、石段があります。
駐車場に係の人がいない場合、料金は那智大社社務所でのお支払いとなります。

10 熊野那智大社駐車場(800円/回)

東牟婁郡那智勝浦町那智山
営業時間6:00~16:30
30台

青岸渡寺まで徒歩2分、熊野那智大社まで徒歩1分、那智の滝まで徒歩15分
駐車場に係の人がいない場合、料金は那智大社社務所でのお支払いとなります。

タイムズカーレンタル

熊野那智大社・青岸渡寺・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)

那智という地名の由来

この地域の名前、「那智」の由来は謎です。

色々諸説があり、面白いので箇条書きで、ご紹介します。

① 熊野地方で「ナグチ」「ナギタ」等、山の入り口を意味する方言に由来する。

② インドでは男の蛇神を「ナーガ」、女の蛇神を「ナーギ」といったそうです。その女の「ナーギ」が「那智」となったらしい。青岸渡寺と補陀洛山寺の開山が、インドから船でやってきて那智の海岸に到着した裸形上人(らぎょうしょうにん)で、船上から那智の滝を見て「ナーギ」と呼んだ、という説。裸形上人は那智の滝に観音菩薩を見つけ、その観音像を祭ったのが青岸渡寺。

③ 山と谷が深い、難地(けわしい土地)の意味。

④ 熊野本宮大社や熊野速玉大社よりもノチ(後)に開山されたから。

それぞれが、本当の話らしく聞こえませんか。

那智山って?

この地域一帯を那智山と呼びます。

那智川の源流域を構成する大雲取山(おおくもとりやま、966m)、烏帽子山(えぼしやま、909m)、光ヶ峯(ひかりがみね、686m)、妙法山(みょうほうざん、749m)などの山々がある一帯の名前のようです。

那智川は大雲取越(おおぐもとりごえ)の舟見峠に源があり、那智四十八滝と呼ばれている滝です。その一の滝が那智の滝で、ご神体の滝として那智権現立地の根拠となりました。
実際には60余の滝があるそうです。

 権現(ごんげん):菩薩や仏陀が、仮に神の姿をとって表れたとし、神は権現(ごんげん)
 すなわち「かりのあらわれ」となります。

また、那智山の妙法山に登る際に、禊祓(みそぎはらえ:心身を清める行為のこと)を行った那智の滝が聖地化したともいわれます。

全域が吉野熊野国立公園となっていて、那智滝や那智原始林(天然記念物)のような深い自然の山と森林が残ります。322km程離れている富士山を頂上などから天気の良い日は見えるのだそうです。

那智勝浦町は、富士山が見える最遠の地ということで、有名です。

このように那智山は、熊野那智大社の参詣のみならず、どこを選んでも、散策にふさわしい自然景観と絶景の地域ですね。

一日で熊野三山を参詣するという方法もあるようですが、できれば、時間の許す限り、ゆっくりと自然と宗教が融合した雰囲気、歴史を満喫してもらいたいーと願っています。

思い出づくりを楽しみましょう。

熊野那智大社・青岸渡寺・飛瀧神社の創生と歴史

いつ頃、どのように創生されたかは不明です。

那智山と一言で言っても、それぞれの由来は違うので簡単にまとめました。
一度ならず書いた内容となっています。読み流しで、楽しんでください。

熊野那智大社の由来

神武天皇東征の折り、この地に上陸した神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)が那智の滝を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命(みこと)は熊野の神の使いである八咫烏(やたがらす)の導きにより大和の地に赴(おもむ)き、橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇となりました。

仁徳天皇5年(317年)には、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧より熊野の神々を遷座(神体・仏像の座を他の場所にうつすこと)してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)という日本の最初の女神、伊邪那美命(いざなみのみこと)を主神として十三柱(はしら)の神々をお祀りしてます。

那智の滝 飛瀧神社の由来

御東征の神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)が、この滝を仰がれ大己貴神(おおなむちのかみ)を祀りました。

のちに飛瀧権現と称され、今は飛瀧神社として熊野那智大社の別宮となっています。

青岸渡寺の由来

仁徳帝の頃(312〜399)、インドより裸形上人(らぎょうしょうにん)が熊野浦に漂着し、那智の滝での修行で観世音を感得(かんとく、深遠な真理などを悟り知ること)し此の地に草庵を造り観音像を祀ったのを開基とします。

それからおよそ200年を経た推古天皇(593~628)の時、堂宇(堂の建物)が建立され、大和から生仏(しょうぶつ)上人が入山して如意輪観世音を安置しました。

この時代の金銅仏八体が1918年に発掘され国重要文化財に指定されてます。

 

考え方としては、古くからの信仰の山々であり、聖地ということです。
南海補陀落の山、観音の浄土として、修験者たちが集まる神仏習合の霊場でした。

これについて、もう少し詳細にお話しします。

当初は那智滝の正面にある、今の飛瀧神社に社殿があったそうです。
このように、元々、滝を神聖視する原始信仰だったので、社殿の創建は他の二社よりも後になります。

那智山を含んだ熊野三山が成立するのは1083年(平安時代末期)以前のことだそうです。
この頃には、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)を主神とする熊野夫須美神社(現・熊野那智大社)が成立していました。

三山成立以降は、上皇や貴族、庶民など多くの参詣者が熊野詣でをし、蟻の熊野詣となりました。
平安時代の末期には鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが熊野三山に参詣しています。

鎌倉時代初期には、この熊野夫須美神社を中心として那智山の聖地が組織化されています。

那智十三所権現社(現・熊野那智大社)、如意輪堂(現・青岸渡寺)、滝本飛滝権現(現・飛瀧神社)、千手堂、山上不動堂、如法道場、奥之院(滝見寺)などが存在しました。

15世紀頃には、西国三十三ヶ所観音札所への巡礼の形が整い、その一番札所が那智山(現在の青岸渡寺)であったので、熊野三山の中では那智山が特に活気にあふれていました。

熊野先達(くまのせんだつ:参詣者の宗教的指導者、道案内者のこと)という、熊野への道案内と、途中の社寺で行う様々な宗教儀礼ができる専門の案内人、もしくは、山伏(やまぶし:修験道の修行者)がいました。

そして、御師(おし、おんし:社寺に所属して、その社寺への参詣者、信者の為に祈祷、案内をし、参拝、宿泊などの世話をする神職のこと)と呼ばれる山内の特定の宿坊と契約を結び、参詣人を導いていました。

鎌倉時代から室町時代にかけては、御師実方院(じっぽういん、廃寺)・尊勝院(廃寺)など多数の社や仏堂、坊舎(僧侶の住む建物)から成る神仏習合の一大霊場、最盛期でした。

しかし応仁の乱(1467年~1477年)以降、戦国の世となり安全な旅ができなくなり、16世紀には衰退し始めます。

江戸時代には、伊勢詣の延長として熊野参詣は再び盛んとなりました。

徳川幕府が紀州藩に命じ、33年もの歳月をかけて、1839年に完成した「紀伊続風土記(きいぞくふどき、きいしょくふどき)」によりますと、当時、禰宜(ねぎ)、神主(かんぬし)はなく全員が社僧という神に仕える妻帯、非妻帯の僧侶の集団で構成されていたそうです。

今の姿とは、また違った・・一言で言って「壮大な神社仏閣」だったということですね。

最盛時には七堂伽藍(がらん)、建物が36個ほどあったとも、いわれるほどだったそうですよ。
想像するのもむずかしいですね。

山岳信仰と修験者(しゅげんじゃ)について

山岳信仰(さんがくしんこう)という言葉があります。
できるだけ簡単にお話ししてみます。

内容として難しいのは事実です。
よくご存知の方は、ほかに沢山いらっしゃると思います。

山岳信仰とは、山岳に宗教的意味を与えて崇拝し、種々の儀礼を行うことをいいます。

古くから山岳は、世界各地でも、精霊、神々、悪魔などの居所として畏敬されてました。

海外の例をいいますと、ユダヤ教のモーセが十戒を授かったシナイ山信仰、キリスト教のイエスが磔(はりつけ)になったゴルゴタの丘の信仰、イスラム教の聖地メッカ近くのアラファト山の信仰などがあります。

日本でも古来、山岳を神霊の住む霊地として崇(あが)めました。

農民たちは水田耕作を守ってくれる山の神、山中の猟師たちは獲物を授けてくれる山の女神を信じました。
そして農民は山麓で、猟師たちは山中で祭りを行ったのです。

これらは、やがて、村の背後の丘を神の居所として山麓に祠(ほこら:神をまつった小さなやしろ)をつくって祭る神社祭祀(さいし:祭りとは「神霊の力によって心身ともに新たな自分に生まれ変わる」の意味があり、こうした祭祀を行なうための場所が、神社です。)となっていきました。

さらには、山自体を神体として、拝殿から直接拝する信仰の形をとるものも現れました。

つまり、山岳は修行、祭り、啓示、託宣などがなされる場所となっていきました。

それ故、山頂や山麓には、祭場、寺社、祠(ほこら)、墓などがつくられ、巡拝者が訪れました。

山岳信仰で特に有名な人物を二人挙げます。
そうすると、「なんだ、そういうことか。」と理解が早くなります。

平安時代初期の最澄(さいちょう、766年~822年)と空海(くうかい、774年~835年)です。

2人とも、名の知れた天才の密教僧です。

この2人により山岳仏教が提唱され山岳寺院がつくられました。

①最澄(伝教大師)は比叡山の延暦寺、天台宗の開祖。

②空海(弘法大師)は高野山の金剛峯寺、真言宗の開祖です。

山岳はとくに、天台、真言(しんごん)の密教僧たちの修行道場となっていたのです。

こうした密教僧たちで、とくに験力(げんりき:功徳のしるしがあらわれること)を修めた者は、修験者(しゅげんじゃ)、山伏(やまぶし)とよばれました。

やがて、平安時代末期のころには、修験者たちは修験道とよばれる宗教をつくりあげていきました。

中世期(鎌倉時代、室町時代)には修験者は、吉野(奈良県)、熊野(和歌山県)、羽黒(はぐろ、山形県)、英彦山(ひこさん、福岡県)、白山(石川・岐阜県)などの霊山を拠点として、山野を歩きまわり、宗教面だけでなく、政治・軍事の面でも大きな力をもっていました。

歴史の話の途中ですが、ここで終わります。

このように修験者と山岳信仰は、日本の精神性に大きな影響を落としているということが、よく分かりますね。

熊野古道と那智山にとっては、なくてはならない大きな存在なので、あえて修験者と山岳信仰について話題にしてみました。

熊野古道は、奥深く、ブラックホールのようです。

アクセス

那智山には宇久井からは、とても近くアクセスが簡単です。
半日かけての小旅行ともいっていいでしょう。

バスであれば、紀勢本線の那智駅、紀伊勝浦駅からバスが出ていますので、事前に時刻表を確認していただければ、スムーズにアクセスできます。1時間に1本ほどの頻度です。

可能であれば車のほうが、自由で楽かもしれませんね。
宇久井からだと20分位で到着するのではないでしょうか。
無料の駐車場もあり、また寺社の駐車場は800円(道路使用料)ですが、状況に応じて使えます。
食事は、参道に沿って、選択肢が沢山ありますので、そこも楽しみの一つになります。
くれぐれも体調に注意して、楽しい思い出づくりをしましょう。

那智の滝 飛瀧神社(ひろうじんじゃ)見どころ

先ず、那智の滝からお参りしました。
何故、最初に「滝から行ったのか?」からお話しします。
通常は、大門坂駐車場に車を駐車し、順番として、大門坂から熊野那智大社、青岸渡寺、そして最後に那智の滝と飛瀧神社となりますね。

自宅から車を走らせ、熊野那智大社に到着したのは朝の5時30分頃でした。

現地は、ほとんど人っ子一人いない状態で、駐車場所をどこにしようかとウロウロ探しながら見学です。

悩んだ末、和か屋本店駐車場に車を入れました。
「24時間、お客様用にお使い下さい」と事前に承知していたので、車を停めやすかったのです。
参詣後に買い物をしようと。
周囲には誰もいませんでした。

全くのお上りさんというか、山の上なので、まさしく文字通りの、お上りさん状態です。
目に入ってくるすべてが新鮮です。山々には薄く霧がかかってます。

那智山観光センターのバスターミナルがある、一番上の辺りから、お土産屋さんの通り(県道46号)を下って歩くと、目の前に那智の滝が神々しく、落ちているのが見えてきます。

感動の瞬間です。
そして、その後は滝へと、まっしぐらに歩きました。

これが一番目に瀧を参詣した理由です。
車を走らせて、やってきた疲れが吹っ飛びました。

そうこうしていると、早朝に、やってくる人は思ったより沢山いると、分かり始めました。
プロのカメラマンらしき人たちもいます。
個人的には、一番良い方法かと思います。

私たちと同じような早朝の訪問者達と話すのも、新鮮で気持が良かったです。
みなさん、だれもが親切丁寧です。

那智の滝 飛瀧神社の由来

御東征の神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、後の神武天皇)が、この御瀧を仰がれ大己貴神(おおなむちのかみ)を祀りました。
のちに飛瀧権現と称され、今は飛瀧神社として熊野那智大社の別宮となっています。

鳥居を入ると、辺り一面すべてが見どころです。

 

 


ひたすら降りていきます。
貴重な時間となりました。

 

落差133メートル 銚子口の幅13メートル 滝壺の深さ10メートル
国指定名勝(二の滝、三の滝を含み-那智大瀧)
日本の滝百選
日本の名水百選
日本の音のある風景百選
隣接域の那智原始林も世界遺産・国指定天然記念物

 

 

この辺りで佇むと、滝の音と微細な水しぶきが心地よいです。
う~ん、最高です。

「日本の滝百選」、「日本の名水百選」、「日本の音のある風景百選」に選ばれている所以です。

 

御瀧拝所舞台入口

早朝で中には入れません。
入口が趣豊かで、とてもいいですね。

 

光ヶ峯遥拝石

 

「光が峯は熊野の神様が降臨したと伝えらている御山で、那智山熊野信仰の原点となります。
この石は原点の地である光が峯に通じており、ここは遥拝所です。
その為、この石をなでると、その原点のお力をいただけると伝えられております。」

という趣旨で書かれてあります。

石をなでてみたら、とても良い気持ちになりました。
お力をいただけたと。

那智山周辺は、道案内に沿って、目的物に向かって歩いていくと迷うことがないです。

早朝の時間帯が過ぎると、人も沢山います。
お店も開いてます。

滝の参拝の後、裏参道を歩いて、那智大社と青岸渡寺に向かいました。

バス停(那智の滝前)のすぐ近くにある坂道を登っていくと裏参道へと通じます。
ここまでは、階段も比較的少なく楽でした。

那智山参詣道案内の看板

 

階段は、「鎌倉積み」という、素朴な積み方で、一段ごとの高さが、比較的大きく、かつ不均一なので、しんどいかもしれません。きつい場合は、休みながら歩きましょう。

一方、足腰に自信のない場合は、体力増進を狙って、挑戦してみてはいかがでしょうか。

健康増進には、鎌倉積みは、まさに最適です。

時間をかけて休みながら、決して無理をせず。

 

 

あじさい園

 

 

朝の7時30分頃だったので、開いてませんでした。
が、開けていただきました(感謝)。

あじさいが咲いている時期で幸いでした。
庭園の前も、見どころですよ。(6月末)

 

 

あじさいもこの上なく綺麗ですが、庭からの山々の絶景が素晴らしかったです。
こういうのは、那智山の醍醐味で、言葉が不要となる瞬間です。

 

 

青岸渡寺 見どころ9選

拝観時間 7:00 ~ 16:30
拝観料  無料
トイレ  多目的トイレ有り
駐車場  有り 800円/回

この写真で、青岸渡寺と那智大社を同時に下方から撮りました。
どちらからでも参詣していいかと。

「滝」の後、あじさい園に行き、その後、青岸渡寺に行きました。

あじさい園は写真に見える赤い鳥居を入って、道に沿っていきますと、看板が出てます。
決して見失うことはありません。

①山門(仁王門)

熊野那智大社の、きれいな赤い鳥居は有名で目立つのですが、お寺の山門はとても地味で、あまり注目されてませんね。個人的には、色の剥げた山門のほうが、お気に入りです。

元々は、熊野那智大社の山門として、大門坂にありました。
この門(大門)があったので、あの古道は大門坂という名前なのだそうです。
昭和8年(1933年)に現在の位置に移設されてます。

迫力のある仁王尊は運慶作(1213年)と伝えられています。
運慶の息子の湛慶作という説もあるということです。

顔と筋骨の逞しさで、仁王像として貫禄充分です。なかなかのモノです。
色を塗って、きれいにすれば、また見違えると思いますが、いかがでしょうか。


山門の裏側には珍しい「狛犬」がいます。


②清浄水

手と口を清める、滝のお水です。
あじさいの花が迎えてくれてます。
延命の水ということで、しっかりと飲みました。

③本堂(如意輪堂)

仁徳帝の頃(312〜399)、インドより裸形上人(らぎょうしょうにん)が熊野浦に漂着し、那智の滝での修行で観世音を感得(かんとく、深遠な真理などを悟り知ること)し此の地に草庵を造り観音像を祀ったのを開基とします。

それからおよそ200年を経た推古天皇(593~628)の時、堂宇(堂の建物)が建立され、大和から生仏(しょうぶつ)上人が入山して如意輪観世音を安置しました。

この時代の金銅仏八体が1918年に発掘され国重要文化財に指定されてます。

裸形上人開山の後、役行者(えんのぎょうじゃ)や、伝教、弘法、智証(ちしょう)、叡豪(えいごう)、範俊(はんしゅん)の高僧が相次いで法燈を守り続けたことにより(法燈とは仏の教えとか、仏前の灯りという意味。 それ故、お坊さんによる教えの引き継ぎや、お寺の継続性を表しています。)、那智七先徳とされ、神仏習合の修験道場となりました。

織田信長の兵火(へいか)で堂は焼失しましたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の命により豊臣秀長によって再建されました。


桃山時代の建築として、紀南で一番古い建造物、重要文化財指定です。

④その時の豊臣秀吉による寄進、日本一の大鰐口(わにぐち)が設けられています。

重さ450kg、直径1.4mです。

神社は、鈴を鳴らして、お願いをしますが、お寺では、布で編んだ綱を振り動かして鰐口を打ち鳴らします。
秀吉により再興の趣旨が刻印されているのだそうです。
見逃すことのないように、貴重な日本一の鰐口(わにぐち)、見ておきましょう。

秀吉の心意気が、ヒシヒシと伝わってきます。

どうしても写真にしたかったので、「鰐口だけを撮る」ということで、特別に許可を頂きました。
感謝です。それで、みなさんにも、披露いたします。

本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)です。

秘仏です。
年に3日のみ開帳され、2月の節分の日、4月の第2日曜日、8月17日です。
もし、行かれる場合は、事前にご確認ください。

明治時代の神仏分離(1868年)で廃寺となりますが、1874年(明治7年)に復興しました。
よく耐えました。

梵鐘、宝篋印塔、那智大黒天は、おおよそ横に一列に並んで、あります。

⑤梵鐘(ぼんしょう、つりがね)

鎌倉時代、1342年に建立され、その時代より那智の山々に時を知らせる鐘の音が鳴り響いています。
現在では、毎朝午前7時に聞こえます。

⑥ 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

鎌倉時代、1322年に建立され、日本最古の宝篋印塔です。(高さ4.3m)
明治以前は、別の場所にあったが、移転されたものです。

宝篋印塔には、本来は経文を納めたが、後には供養塔・墓碑として建てられました。
重要文化財です。

⑦那智大黒天

梵鐘のすぐ横の階段を昇るとあります。
中がとても明るくて、いいですよ。
みんなに慕われている大黒天です。
願い事をかなえてくれそうです。


⑧樹齢約700年タブノキ

なんとなく、ひっそりと佇んでいますが、とても立派な木です。

和歌山県指定天然記念物(1965年指定)

そして、あまりにも有名な写真スポットです。

 

⑨三重塔

元々は平安末期からの建立です。

参詣した早朝は、開いていなかったので割愛しました。
みなさんはどうぞ、ご訪問されてお楽しみください。
拝観料は300円です。
瀧壺が見えると聞いてます。

熊野那智大社 見どころ7選

熊野那智大社 由来

神武天皇東征の折り、この地に上陸した神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)が那智の滝を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命(みこと)は熊野の神の使いである八咫烏(やたがらす)の導きにより大和の地に赴(おもむ)き、橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇となりました。

仁徳天皇5年(317年)には、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧より熊野の神々を遷座(神体・仏像の座を他の場所にうつすこと)してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)という日本の最初の女神、伊邪那美命(いざなみのみこと)を主神として十三柱の神々をお祀りし、全国の熊野神社四千余社のご本社である熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社です。

①手水舎(てみずや)

あじさいが、とてもきれいで見とれます。

②宝物殿

刀剣、古鏡、古祭具、参詣曼荼羅、古文書、経塚(経典を埋めた場所)出土品などを常設展示しています。
熊野那智ならではの宝物を見れます。

拝観料 大人 300円
    小人 200円(小・中学生)
    ※未就学児は無料 30名以上で団体割引有り
開館時間 午前8時半 ~ 午後3時半
休館日  水曜日 ※都合により休館になる事もあります。

③礼殿

白い石を買いますと(1000円)、玉垣内の中に入れていただき、本殿のご説明もしていただけるとのことでした。興味のある方はどうぞ。


日本一のおみくじです。(100円)

本殿

正面から見て右から四つ目が主祭神、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)をお祀りしている社です。

第一殿 瀧宮(大己貴神)おおなむちのかみ
第二殿 証誠殿(家都御子大神)けつみこのかみ
第三殿 中御前(御子速玉大神)はやたまのおおかみ
第四殿 西御前(熊野夫須美大神)くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト
第五殿 若宮(天照大神)あまてらすおおみかみ
第六殿 八社殿(天神地祗)てんじんちぎ、天の神と地の神、すべての神のこと

本殿の第六殿が見えます。第一殿から第五殿は、横一列にならんでます。
第六殿だけ、このように突出した大きい形で見えます。

本殿の前には、烏石(からすいし)があります。初代天皇、神日本磐余彦命を橿原の地まで道案内をした八咫烏が、案内を終えて烏石に姿を変え休んでいると伝えられています。

また、枝垂桜(しだれざくら)は、上品、優美で比類がなく、後白河法皇手植えの木を代々伝えたものとされてます。三月末から四月初めころに花を咲かせ県指定の文化財です。

④おみくじ(高さ133センチ)

礼殿の近くにあります。

⑤八咫烏(やたがらす)・御縣彦社(みあがたひこしゃ)

八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いで、三本足の烏です。
良い方向へ導く、導きの神様とされ、御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされてます。

⑥大樟(くす)胎内くぐり

御神木です(樟霊社 しょうれいしゃ)。

樹齢850年と推定され樹高は27メートル、幹回り約8.5メートルあります。平重盛の御手植とされています。

護摩木(300円)もしくは絵馬(500円)を持って通り抜けます。


ここから入ります。                 ここから出てきます。
素晴らしい、くすの木です。感動しました。

⑦秀衡桜(ひでひらざくら)

奥州の藤原秀衡が夫人と共に熊野詣をした折、奥州から持ってきた山桜がこの秀衡桜であると伝えられています。四月の二十日頃に雲か霞かというほどに白く美しく咲く珍しい花で、別名、白山桜といいます。

樹高は15メートル、幹の周囲は約2メートルあります。
県指定の文化財です。

当日は、この桜の前に大きな建物があり、写真を撮れませんでした。
次回のお楽しみにします。

表参道 見どころ3選

至極満足して、幸せな気持ちが一杯で帰路に着きました。
後は大門坂だけか、とタカをくくっていました。
それが大きな間違いと気づくのは後になってからです。

これについては「大門坂」でお話しいたします。

帰り道、通常は、参詣者が上る階段を、下っていきました。
下るだけならホント楽なんです・・

①実方院跡(じつぽういんあと)

写真「実方院跡」の看板の趣旨

熊野行幸(ぎょうこう)は百十余度も行われ、ここは、その参拝された上皇や法皇の御宿所となった実方院の跡で熊野信仰を知る上で貴重な史跡です。

和歌山県指定史跡、中世行幸啓御宿泊所跡となってます。

中世とは日本ではおおざっぱにいって、鎌倉時代、室町時代あたりをいいます。
「行幸啓」とは、読み方としては、「ぎょうこうけい」、意味は、天皇と皇后が一緒に外出することをいいます。

②モッコクの大樹(木斛)

実方院の敷地内には入れませんが、この大樹は入口にあります。
和歌山県でも珍しいモッコクの大樹です。お見逃しなく。

樹高10メートル余
幹回り1.8メートル
樹齢400年余
和歌山県指定文化財 天然記念物 

7月初めに白い五弁の花を咲かせ、果実は球状で暖地に自生し、庭木として植生されます。
ツバキ科の常緑広葉樹。


お花の写真です。

尊勝院

実方院跡は熊野那智大社の所有ですが、青岸渡寺としては、尊勝院があります。

尊勝院は、青岸渡寺のすぐ横の、山の中腹にあります。
表参道のこの位置からは、外れていますが、見逃さないように、どうぞご訪問ください。

写真「尊勝院」の看板の趣旨

那智山の開山、裸形上人像と尊勝院仏頂如来像を安置し、かつては飛瀧権現(那智の滝)を管理していた那智山執行職が代々にわたり住居していた僧房であったと伝えられてます。
中世以降、天皇皇族貴紳(身分の高い人)の熊野詣の宿泊所となってました。
現在の建物は江戸初期の再建と思われ檜皮葺(ひわだぶき)唐破風(からはふ)の四脚門は熊野三山では珍しい。熊野信仰を知る上で貴重な建物です。

昭和33年(1958年)に、和歌山県指定文化財、史跡 中世行幸啓御泊所跡尊勝院となっています。

実方院、尊勝院とも、那智山の御師(おし、おんし)として歴史上、大きな勢力を持ち、大きな役割を果たしました。

熊野那智大社 那智の滝 無料駐車場那智山(熊野那智大社/青岸渡寺)・那智の滝・飛龍神社の見どころや実質的に駐車料金不要の方法、大門坂の無料駐車場(100台分)から参拝道でのアクセス方法の解説。...

③山口光峯堂

表参道の、お土産屋さんは、開いている時間帯(早朝)ではないのですが、1軒だけ開いてました。
那智黒石の専門店さん、と言っていいのでしょうか。

山口さんという店主の方から、短い間でしたが、かなり、おもしろい話を伺いました。

お店の正式な名前は、話に夢中になっていたので聞いてもいませんでしたが、帰宅してから見つけました。
「皇室献上の硯」がブランドの「山口光峯堂」さんというお店です。

個人的には石が大好きですが、那智黒石について、色が黒いという位しか、知らなかったと思い知りました。
みなさんもそうではないでしょうか。
とても興味深い話ばかりでなく共感できました。

こんな自然豊かな環境で暮らしていらっしゃるのは、ホント羨ましい限り、というのは別にして、表参道の必ず出会うお店なので、どうぞ、みなさん、お寄りください。
おもしろい経験となりますよ。
お店の写真を掲載いたします。

その後、和か屋本店さんの第一駐車場に行き、自分の車を確認した後、買い物目的で店内に入りました。

どの店員さんもとても親切で、何の無理強いもなく感謝で一杯です。
次回も必ずここを利用させていただきます。

車に乗車し大門坂駐車場に向かいました。

それほどの疲労感も感じることなく、熊野那智大社への参詣は、なんと楽なんだろうと。
それが、大きな誤解と気付くのは、もうすぐです。

大門坂駐車場

泣く子もだまる、有名な、あの「大門坂駐車場」です。

トイレもあり、案内所もあるようです(早朝で閉まっていました)。

  大門坂観光案内所(だいもんざかかんこうあんないしょ)
  2022年12月2日から開業
  年中無休
  営業時間 9:30~15:00※
  営業日、営業時間は変更となる場合があります。

楽に車を駐車できます。
駐車台数は100台位です。

さて、次の本舞台、大門坂に出発です。

大門坂

駐車場から歩いて2-3分で、大門坂入口に到着します。
「大門坂」と大きい石碑が見えます。

その入り口で、ボランティアの方がお一人で、道の草刈りをしていました。特別な資格を持っているとのことです。その腕章を見せてもらいました。

並々ならぬ高い意識を持ってらっしゃるようでした。ガイドもしていっらっしゃるとのことで、しばし、お話しさせていただきました。知識もとても豊かで学習することが沢山ありました。

熊野那智大社のような世界遺産であり、吉野熊野国立公園となっている地域の、ゴミ一つ落ちていない、清潔感とすがすがしさは、こういう方々の高い意識の積み重ねの結果なんですね。
今更ながらこういうふうに書くのも申し訳ない思いです。

貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

大阪屋旅館跡

南方熊楠という人は、博物学者、生物学者、民俗学者ですが、ここで3年間滞在しました。
ここで那智原生林の菌類・藻類などの採集研究をしていた天才です。

振ヶ瀬橋(ふりがせばし)

この橋で聖域と俗界を振り分けるという境となる橋です。

振り分けてもらえるのなら、喜んで渡りますよ。

正式には、ここから始まるのでしょうか。
一番上が六町ですので654メートル(109メートル x 6町)、267段の鎌倉積みの石段、高低差100メートルを登っていきます。

那智の七石の一つ 鏡石

「祈り石」の一つの鏡石です。
全部で七つあるとされ、「祈り石」全部を見つけて願い事をすると、願いがかなうとされています。
二つのみ見つけました。鏡石と唐戸石です。皆さんも探してくださいね。

大門坂茶屋

平安時代の衣装を借りることができます(有料)。
お子さん、そしてご家族で、とても良い思い出作りができますね。
ここから先には、民家はありません。

 


(2023年6月末)

夫婦杉(めおとすぎ)

樹高55メートル、軒周り8.5メートル、樹齢800年。

2本の杉の根がつながっているので夫婦とよばれています。
右が男性、左が女性と言われているのだそうですよ。なんと。

大門坂の両側の杉並木は1本通りで132本あります。
樹齢500年以上と言われています。ほとんどが杉ですが、楠もあり圧巻です。

一町

ここで一町です。

一町とは109メートルだそうですが、私は既に息が苦しくなっていました。
なんと弱い体力かと。

多富気王子

熊野九十九王子最後の王子社です。

江戸時代には社殿がありましたが、明治十年(1877年)に熊野夫須美神社(現、熊野那智大社)の境内に移され跡地だけになりました。

楠大樹 樹齢800年

大樹が大切に保存されています。
東京の神宮外苑のイチョウ並木は、たった100年ともたないそうですが、みなさん、ご存知でしょうか。
那智山を見習ってもらいたいと心から願います。

大門坂 二町

途中で離脱する場合、ここからバスに乗るのが便利です。

ここのバス停の名前は「熊野古道」です。
46号線のバス停が徒歩ですぐ歩いていける場所にあります。

一町は109メートルなので218メートルほど歩いたということでしょうか。

ですので、ここから那智の滝(バス停の名前は「那智の滝前」)までバスでもう一駅です(200円)。




もしくは、大門坂の駐車場まで行くことも可能です(150円)。

大門坂の駐車場のバス停の名前は「大門坂」です。



ただしバスは1時間に1本もしくは2本なので、調節が必要不可欠です。

(もう既に、息が苦しく・・・ゼェーゼェーしてます。どこかで休憩しないと。)

正直言って、先が果てしなく見えて、出口は永久に来ないかと。

 

このコースは、熊野古道の初心者コースなんですよね。
ハイキングに出かけるような気持で行けると、みんな言ってませんでしたか。

みなさんは充分、気をつけて、私のマネはしないでくださいね。

唐戸石

ここで休んでいる人が複数いらっしゃいました。

大門坂の途中で離脱してしまう人もいるそうですがーそうでしょう、よく分かります。
私も、何度やめようと思ったことか。

この辺りから遠くに那智の滝が見えるのだそうですが、そういう余裕はありませんでした。
次回は必ず滝を見ます。

五町

あと少しです。がんばろう。

六町

着きました。呼吸するだけで精一杯な状態です。
呼吸だけはできてます、なんと。

 

六町近辺の、この付近で、全く一歩も歩けない状態となっていました。
休んでいたら、後から来た地元の方と、なんとはなしに話を始め・・・

トレッキングシューズを10足ほど持っているという話から始まり、この大門坂によく来るという話を伺いました。それだけでもすごいと思うのですが、話はさらに進み・・・

大門坂を片道15分で、合計30分で往復するのだそうです。
(私は片道40分ほどかかってます)
さらに、それを一日3往復するというので、ホントウにびっくりしすぎて一言も返す言葉がなくなりました。
その上、多い時は6往復すると。

この方は血圧が高かったのですが、今は平常値の120にもどったそうです。
血圧の高い方は、「大門坂お勧め」かもです。まさに集中治療です。いかがでしょうか。
運動時は水分を沢山取ることを忘れずに。

人生で初めて聞いたことも含め、色んな話をしました。(感謝)
ホント、想像もできない人達が沢山いらっしゃいます。
みなさんも是非、滝と寺社だけでなく、こういう暖かい人間味にも触れて下さい。
なかなかの奥深い味があり、新しい人生が見えた時間となりました。