洞川温泉 駐車場
洞川温泉街の「寺前通り」と「行者さん通り」を中心とすると、近辺で観光地点が多数に点在しています。
日帰り、宿泊旅行を問わず、短時間ですべてを回ることは困難、訪問したい場所もそれぞれに異なります。
一方、コンパクトにまとまって点在するので、自分の訪問目的に叶った場所を見つけ楽しむことも容易です。
ここは、駐車場を探しながら、周囲の環境も同時に楽しむという観点でご案内いたします。
駐車場は、村営の有料駐車場から、商業施設の駐車場(原則としてリストに入れません。多数あります。)、そして無料駐車場と、さまざまにあります。
この写真は面不動訪問者専用の駐車場の案内板です。
分かりやすいのでは、という理由で挙げます。
以下に、先ず、村営の有料駐車場等から、無料駐車場へとご紹介リストアップしていきます。
村立資料館駐車場
天川村洞川674-1
普通車1日1000円、大型車1日2000円
利用台数18台
資料館として興味深い内容で、とても良いです。
営業時間が10時より17時で(火曜日・12月1日~3月31日は休館)ということは、それ以外は利用できないということでしょうか。駐車場の出入り口が閉鎖されるのでしょうか。
そうすると、利用料金は1日1000円というより1回の出入りでこの値段ということになりそうですね。
未確認です。利用される時はご自分で確認をしてください。
天川村営 洞川温泉前 洞川駐車場
天川村洞川13-1
普通車で1時間300円、1日最大3000円。
満車になると誘導員の案内により入れないことがあるそうです。
大型車(車高2.7m以上)は1時間500円、1日最大5000円
30分までは無料 バイクは無料
約70台、24時間営業
洞川温泉センター( 11:00~20:00受付最終19:30)を利用すると90分まで無料です。
2024年4月25日より施設が洞川温泉ビジターセンターとして新しくなりました。
定休日が水曜日、祝日となると翌日が休業・12月29日~1月1日休業
入場料は大人800円・小人200円
ごろごろ茶屋採水場駐車場
天川村洞川686‐139
駐車料金500円(1時間以内)
採水時間 4/1~11/30(夏季)9:00〜18:00 12/1~3/31(冬季)9:00~17:30
入場は終業30分前まで
年末年始(12/31~1/6)および悪天候であれば休業 約36台
環境省の日本名水百選、国交省の水の郷34選に選定されているという2重に保証された名水、ごろごろ水が自由に取り放題となっている駐車場です。
洞川財産区による管理です。
お水、ミネラル水にこだわりのある人には欠かせない場所ですね。
訪問時は必ず容器を沢山!持っていきましょう。
面不動駐車場
天川村洞川240
面不動鍾乳洞を訪問するための専用の駐車場です。
この写真は面不動駐車場にある案内板です。分かりやすいので、もう一度掲載いたします。
かりがね無料駐車場
天川村洞川
駐車台数としては12台~13台あたりでしょうか。
地面がアスファルトではないですが、週末に半日ほど駐車で問題はありませんでした。
地域の北側からアクセスすることになります。
「かりがね」とは、奈良県の天然記念物の「いわつばめ」のことです。
橋の名前になっているとは、なんと、おしゃれな名前なんでしょう。
車での行き方としては単純です。
だれもが最初に訪問するであろう「大峰山洞川温泉観光案内所」の前を通過し、その後も県道48号線を単純に
山沿い(北東)に車を走らせます。
大きなお寺「大峰山龍泉寺」を左に通過、さらに「天川村立資料館」を左に通過、その先にあります。
この「資料館」辺りで、空中に浮かぶ、かりがね橋が前方に見えてきます。
駐車場はこの橋の下を通り抜けて右側に見えてきます。
駐車場のすぐ横の下には小川が流れています。
隣接するのは「川魚センター」です。
龍泉寺駐車場
天川村洞川493‐5
無料です。約20台。
その名前の通り、参拝者用の駐車場です。
駐車時間帯は、融通があり、特に決まっていないのではないでしょうか。
由緒ある古刹です。マナーを守りましょうね。
偶然にこの前を通った時、修験者さんと僧侶様の儀式に遭遇しました。
そこで思わず車を駐車場に入れ見学し貴重な経験をいたしました。
これについては別項目の記事でご報告いたします。
洞川龍泉寺前公衆トイレに付属する駐車場
天川村洞川
ここはトイレを使用する際の駐車場です。
たった3台用だけなので、将来に閉鎖されないようにと祈るばかりです。
内部はとてもきれいです。
建物の前に、川からの冷水がながれています。
手を洗うとこの上なく気持ちいいですよ。
洞川自然研究路
洞川自然研究路
天川村に「洞川自然研究路」という遊歩道があります。
観光案内所で、便利な案内情報がありますので、どうぞ、もらってください。
とても分かりやすいです。(実物は緑色です)
案内所にいるスタッフさんが親切、経験豊かです。
限られた僅かな時間しかないという条件付きで、見どころを知りたいという、欲張り、勝手気ままな私の要望にも慣れたものでした。
とても適切に短時間で回答いただき大変助かりました。
この散策路を洞川自然研究路という名称とするのは、はじめて聞くと、ちょっと違和感がありませんか。
が、内容を見ると、洞川の自然の美しさがふんだんに網羅された散歩コースということが分かります。
全コースを周回、経験した後で、なるほどと納得してしまうような名前のような気がしました。
天川村は、紀伊半島のど真ん中にあり、1000メートルから2000メートルの深い山々が連なる真っ只中にある集落です。
高度は820メートルほどあります。
ご存知のように、雨量が圧倒的に豊富なので深い渓谷に、透明なエメラルドグリーンの川が、とうとうと流れるという美しさが、ふんだんにあります。
美しい村に5コースの遊歩道が用意、紹介されており、そのうちのひとつが洞川自然研究路です。
役所のパンフにしては、おもしろいリアルな文章となっているので、そのまま引用させていただきます。
緑色のパンフに記載されてあります・・・
健康と癒し 天川ウォーキングのすすめ↓
「マイナスイオンにフィトンチッド。澄んだおいしい空気に底まで透ける清流!健やかに歩くと体もいきいき。美しい景色で脳や細胞に刺激(ドーパミンもアップ)。 …略… 交感神経がリラックスして骨も丈夫でお肌もイキイキということは…美しく健やか長生き!」
なんだか、この型破りさのウォーキングへの誘いには思わずニコッとしてしまいませんか。
お役所さんがこういう文章を作れるのは洞川だけでしょうか。
みなさんはどう感じますか。
かりがね橋
住所 奈良県吉野郡天川村洞川
下を流れるのは、小泉川です
竣工 1981年3月
標高 約880m
長さ 120m
高さ 約50m
幅 1.5m
村の北にある、この約50メートルの上空から、洞川を見たいと、迷わず、かりがね橋に向かいました。
「なんとかと煙は高い所に登る」ということをまさに地で行く行動となりました。
先ず、その行き方ですが、とても簡単です。
一度も行ったことのない場所にかかわらず、誰にも道案内を聞かずに一発で到着しました。
既に登場した観光案内所のある辺りで、県道21号(すずかけの道)から県道48号にはずれ、龍泉寺の方へ行くと、かりがね橋が見えます。
龍泉寺の北の端に入口があります。(村立資料館の手前です)
法螺貝を吹いているかわいい鬼の像が目印です。
龍泉寺の敷地内に入るとすぐ、こういう印象深い立派な木があったので掲載します。
なんと、案内板がない・・樹齢100年以上の木とか?どなたかご存知でしょうか。
ほんの少々歩き進めると山に登る道があります。
ここから龍泉寺裏のモミ林に入ります。
モミ、ツガなどの針葉樹とブナ、キハダなどの広葉樹が混じり、貴重な山として1987年3月に奈良県指定天然記念物になったのだそうです。
標高850メートルから990メートルで、樹齢数百年の大木が茂る見事な原生林だそうですよ。
橋まで行くのに、思ったより距離があり息が切れました。
「洞川では、「いわつばめ」を「かりがね」と呼び、奈良県の天然記念物です。
いわつばめが飛ぶ姿に似てスマートなことからかりがね橋と名付けた」という案内板です。
やっぱり足元に丈夫そうな板があると、こうも違うのかとー怖さは全く感じませんでしたね。
谷瀬の吊り橋(十津川村)では私は完敗しましたー渡れなかった恐怖の吊り橋です。
強風が吹くと、帽子等の持ち物飛ばされそうになりそうなので、落下防止用の金属製ネットではないでしょうか。
それが、また安定性を増し、怖さは全く感じませんでした。
至れり尽くせりの吊り橋というべきか―何度でも渡れそうな気がします。
橋の真ん中あたりに金属製ネットに大きな穴があり、集落に向けて写真を撮る場所があります。
穴をあけるのが良いか悪いかは別として・・この穴がないと写真が撮れないということです。
写真を撮りながら、携帯を落としたら超怖いと初めて恐怖感が出ました。
到着した、向こうの山は大原山です。
数分歩くと展望台があり、洞川が違った角度から見えるので、お勧めです。
洞川自然研究路のコースの一部となってます。
大峯山 龍泉寺
住所 奈良県吉野郡天川村洞川494
電話 0747ー64ー0001
営業時間 8:00~17:00 (お堂、寺務所、納経所)境内は自由
駐車場 有り
拝観料 無料
高位の格式
お寺の境内に入ると、広い敷地の中、案内板、説明板もほとんどなく、どの方向に行けば
いいか分からず、迷いそうになります。
山の麓にある、正体不明のお寺かーいえ、いえ、まさか。
荘厳な雰囲気の中、お参りしている修験者さんたちー
一体、どういうことなんだろうと初心者は思います。
境内に入る前の道路に面した壁を見てみましょう。
一般的に、お寺の塀は筋塀(すじべい)といいます。
その表面に横に白い線が引かれています。
それを定規筋(じょうぎすじ)といいます。
龍泉寺には5本の定規筋があります。
ご自分のお住まいの近所のお寺の筋塀を見て下さい。5本の横に入る線は、先ず、ないです。
この白い5本の線はお寺の格式、しかも、その高さを表します。
3本、4本、5本とあり5本が最高ランク、お寺の高位の格式を示します。
京都のお寺を例にすると、金閣寺、 東本願寺、西本願寺がそうです。
お寺以外ですと京都御所、二条城がそうなってます。
龍泉寺の何もなさそうなところが、実は最大の魅力になっているというと語弊がありますでしょうか。
私の独断と偏見ですので、ご了承ください。
役行者(えんのぎょうじゃ)による草創
今から千三百年以上の飛鳥時代、大峯山の開祖、役行者によって創建された名刹です。
全国の修験道の根本道場として多くの信者(修験者)さん、登山者が必ず訪れる真言宗醍醐派の大本山です。
大峰山寺(山上が岳)の護持院でもあります。
大峯の山々を行場(ぎょうじょう、ぎょうば:修行を行う場所)として修行した役行者が、
山麓の洞川に下りた時、こんこんと湧き出る泉を発見したといわれています。
泉のほとりに八大龍王を祀り、水行をしたのが龍泉寺の始まりと伝えられています。
この泉を「龍の口(たつのくち)」といい、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、
龍泉寺と名付けました。
真言密教のお寺ですが、今でも修験者さん達は宗派を問わず身を清めて八大龍王に
道中安全を祈ってから、山上ヶ岳に向かいます。
龍の口伝説
滝の口の案内板にある「洞川のむかし話 其の三」です。
心にズシンと響くので、引用します。
むかし、龍泉寺で働いていた夫婦に男の子が生まれました。しかし、自分が白蛇の化身であると知られた母親は、乳の代わりに片方の目を与えて姿を消しました。その目がなくなると、再び龍の口から姿を現し、もう片方の目も与えられました。そして朝に六つ、暮れに七つの鐘を合図に乳を飲ませに参りますと言い姿を消しました。今でも龍の口の泉は、枯れることなく大峯山修験者の清めの水となっています。
大峯山龍泉寺 ご本堂
本堂には本尊である弥勒菩薩をはじめ弘法大師像、大日大聖不動明王、役行者、聖宝理源大師が
祀られているとのことです。
昭和21年(1946)、洞川の大火によって類焼しましたが、昭和35年(1960)に再建されました。
赤い色の立派なご本堂があります。
前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)
正面の右側、大きい棒を持っているのが、前鬼(夫)、正面の左側が後鬼(妻)です。
山で修行をしていた役行者に危害を加えようとした夫婦の鬼が、前鬼(正面右)と後鬼(正面左)と
言われています。しかしながら、反対に行者に戒められた鬼たちは、行者の徳を慕い、その結果、
優れた弟子となりました。
前鬼のご子孫は奈良県下北山村に住み、行者さんたちの手助けをし、後鬼のご子孫は洞川に多く住まれたと
いうことです。
天川村では「鬼」の意味が全く違うのですね。
大昔、鬼は大峯山を守り洞川に住み、それ故洞川は「後鬼の里」と呼ばれています。
ご本堂内部
写真が暗く、良い写真ではありませんが、ご本堂の中、誰も管理する人がいませんでした。
まさか靴を脱ぎ勝手に中に入っていくのは誰もしませんが、このオープンさと自由さー
久しぶりに経験いたしました。
まさに心の故郷、大峯山龍泉寺です。感謝。
龍泉寺八大龍王堂(はちだいりゅうおうどう)
役行者が大峯山を開き、つづいて龍泉寺を創建したとき、総鎮守(そうちんじゅ)の守護神として
祀った竜神様です。
至る所に竜神様がありました。
この建物も、気楽に入ったーのですが、内部でお寺の神髄を経験させていただきました。
すばらしい美術品がすぐ手に届く所にあるにもかかわらず、管理する人を置いていないというー
その自由さとオープンさに感動しました。
古来より大峯山修験者の道中安全、家業繁栄の守護神とされ、
現在では交通安全、海上安全の守り神、諸病平癒。家業繁栄の神様とされています。
現在のお堂は2001年の再建だそうですが、これより一代前の古い建物は1946年の大火を
免れた唯一の建物だそうです。
やはり龍王様の威力は大きいということでしょうか。
なで石
現地の案内板の「洞川の伝承」から引用します。
なでると軽く持ち上がり、叩いて持ち上げると重くなると言う龍泉寺に古くから伝わる不思議な石。
石が持ち上がるか持ち上がらないかで願いの成就を占った石占(いしうら)と呼ばれる古い占いの名残で、
「重軽石(おもかるいし)」とも言われている。
生き物に心があるように、石にも心がある。常にこの石をなでる時のような気持ちで何事にも接することを
この石は教えてくれているのではないでしょうか。
洞川温泉 山あいの村は何故人気なのか?
人口500人もいない天川村の洞川に概算で年間28万人の観光客が訪れます。
その魅力を探ります。これは私の主観にすぎないので、どうぞ皆さんも、楽しみ方を見つけてください。
紀伊半島を滔々と流れ、太平洋に終わる熊野川ですが、その源流は山上川です。
世界遺産となっている霊峰、大峯山を源とする清流です。
洞川温泉は、この山上川のほとりにある温泉地です。標高が820mあり、夏でも涼しい気候で、関西の
軽井沢と人気があります。温泉が出たのは1970年代と最近ですが、大峯山を訪れる修行者たちの拠点
として、1300年以上前から栄え、歴史と文化が奥深い、不思議な存在の村です。
実は、洞川温泉には伝説、伝承が豊かにあり、その一つに、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうしゃ)
に従った鬼の末裔たちによって洞川が開かれたというのがあります。
鬼とは、前鬼(ぜんき、夫)と後鬼(ごき、妻)という夫婦です。
龍泉寺の本堂前の前鬼(右)と後鬼(左)です。
後鬼の里、洞川
前鬼は、義覚(ぎかく)の別名、後鬼(ごき)は「義賢(ぎけん)」の別名を持ちます。この鬼-生駒山
(いこまさん)の暗峠(くらがりとうげ)で人の子をさらって食べるという恐ろしい鬼でした。そこで
役行者が二人の鬼を諭し「悔い改めるならば人間に変えてやる」と言ったそうです。それに従った二匹の鬼は
人間の姿に変わり役行者に忠実な従者、高弟となりました。
常に役行者の前を歩いたとされる前鬼の赤鬼は手に斧を持ち、後ろを歩いたとされる後鬼の青鬼は水瓶
(みずがめ)を持っていたとされます。
そうこうするうちに役行者から、夫婦それぞれ里に下りるように命を受けたそうです。
それで妻の後鬼は洞川の地に住み着くようになり、その末裔が洞川に住んでいるのだとか。
洞川では、鬼は家族や村を守り、人々に守護や平和をもたらす象徴なのかもしれません。
下北山村 前鬼
今の奈良県下北山村に前鬼という地区があります。
ここには夫の前鬼が住みました。また、前鬼と後鬼には5人の子どもがいて、その子たちのそれぞれが宿坊を
建て、修験者のお世話をしたり、修行の仕方をここで教えてきたそうです。
5人の鬼の子の名前は、五鬼熊(ごきくま)、五鬼童(ごきどう)、五鬼上(ごきじょう)、五鬼継
(ごきつぐ)、五鬼助(ごきじょ)です。それぞれ行者坊、不動坊、中ノ坊、森本坊、小仲坊(おなかぼう)
という宿坊を経営して受け継いでました。
まさに、鬼の子孫が代々修験者を守り、導いてきたのです。
が、明治5年の修験道廃止令によって修験者が激減、その後、残っているのは小中坊だけです。
洞川温泉の魅力
この伝説を信じるかどうかは、あなた次第です。
前鬼と後鬼の物語―行者の弟子となって人々を守ったという話は、悪が善へと転じることができるかもしれ
ないという可能性や、守護者への信頼が表れ、人間の道徳的な根源、希望を感じるこができます。
また、洞川の住民を後鬼の子孫とすることは、地域のアイデンティティの独特性を感じます。
単なる神話、伝承に終わらず、人々の生活、信仰、価値観に深く根付いているとしたら、人々の誇りや精神的
な支えになるのではないでしょうか。
毎回、洞川を訪問するたびに、さらに惹かれていく自分を感じます。
他の観光客も、もしかしたら、私と同様なのではないでしょうか。
自分のストレス満載の生活から離れ、目に見えない、深い価値が、ここにはあるような気がして、そして、
心の安らぎ、精神的な充足感を求める人々にとっての魅力に映るのではないでしょうか。
天川村の村立資料館
天川村が小さいって?
天川村の人口は、たった1350人という、言ってみれば、とても小さな村です。
その小さなサイズに反して、近辺には「近畿の屋根」とされる大峰山脈が連なり、その最高峰が
八経ヶ岳(1,915m)です。
1300年以上の太古に役行者(えんのぎょうじゃ)によって開山された大峯山(山上ヶ岳)には、
今も多くの修験者が修行に訪れるという修験道の発祥の地となっています。
大峰山寺
村の面積の98%が山林、その4分の1が吉野熊野国立公園です。
そして、天ノ川(てんのかわ)という清流が熊野川の源流として流れます。
さらにー
この村は、ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されているのは言うに及ばず、
その主要な構成要素としての「大峯奥駈道」、霊場「吉野・大峯」の一部があります。
また、村全体がユネスコ エコパークに認定されているということを最後に付け加えます。
ユネスコ エコパークとは、豊かな生態系を有し、地域の自然資源を活用した持続可能な経済活動を
進めるモデル地域です。
自然保護と地域の人々の生活が両立する持続的な発展を目指す地域です。
日本では10地域のみエコーパークがあります。
「天の国」「木の国」「川の国」と謳う理由と由緒が、なんだか分かるような気がしませんか。
その小さな村の村立資料館を訪ねてみました。
なんだかワクワク感が高まります。
村立資料館
龍泉寺の隣にあります。
大きい駐車場があり、その料金は1日1000円です。
建物入ってすぐ「ほのぼのギャラリー」は、無料で、休憩できるようになっているのでお勧めですよ。
また、天川村らしい暮らしぶり、民俗などを伝える展示がきれいに揃っています。
展示品を見ていると、人々の山の中での生活が具体的に心に刺さってきます。
みなさんは、どう感じるでしょうか。
第二次世界大戦の残存物 B29 のエンジン
ここでの展示物を、ひとつだけご案内いたします。
毎年夏になると、マスコミは戦争特集に熱心になりますね。
そういう季節性を狙うのでなくー資料館の奥のコーナーに目が奪われる展示物があります。
ここは有料のコーナー、250円ですが、その価値は余りあるほどかと。
1945年6月、終戦間近に大阪城を空襲したアメリカ空軍のB29が、その帰りに、この地域近くの
阿古滝(あこだき)に墜落したのだそうです。
発見したのは2007年のことなので61年が経過していました。
そして、B29 のエンジンを山の沢にそのまま放置するのではなく、その当時の村長はじめ、
関係者が一体となって、山から下ろしたのだそうです。なんと。
その他、何か機体らしきものをと、近辺をさがしましたが何もなかったそうです。
機体の風化が激しく進むであろう・・沢からアメリカ空軍爆撃機を、果敢に回収したという武勇伝です。
当時は、発見したエンジンのシリンダー部分がわずかに見えるだけで、このままでは回収できなくなる
だろうという判断の基、大きい岩石と土砂を取り除き、沢から運び出したそうです。
戦争中の当時、11人のアメリカ人の搭乗員のうち4人が確保され、その後、この4人が、
どうなったかはー以下のチャートに載ってます。
戦争は人を魔物にします。
大阪城に残る戦争の痕跡
大阪城公園に美しくそびえたつ大阪城(天守閣)ですが、ここは戦時中、陸軍用地となりました。
陸軍の中枢機関だけでなく大口径の火砲を主体とする兵器を生産する軍事工場もありました。
それ故、1945年3月から終戦前日の8月14日まで、8度におよぶ大空襲を受けました。
また天守閣をはじめ、周辺にも1トン爆弾が多数投下されました。
天川村の山上ヶ岳近くに墜落したB29が、その中の1機ということになります。
大阪城の天守閣近くにある「山里丸石垣(やまざとまるいしがき)の機銃掃射痕(きじゅうそうしゃこん)」
をご存知でしょうか。
気分が悪くなるようであれば、以下をどうぞ読まないでください。
「山里丸石垣の機銃掃射痕」
あの有名な大阪城の天守閣に登る途中、この案内板がある石垣があります。
人目につかない地味な場所にあるので、知られていないかもしれません。
お城の北側、大阪ビジネスパーク駅の方面から歩くと、極楽橋があります。
この橋は、来訪者の誰もが渡りますね。
その後、少し坂を上ると「刻印石広場」があります。
そこの向かい側の近辺のあたりは山里丸と呼ばれています。
この石垣の下側に一部破損している箇所が機銃掃射による攻撃の痕跡となって残っています。
機銃掃射とは、機関銃で敵をなぎ倒すように、上から下に向けて射撃することです。
特に戦闘機が地上の人間や建物に向かって機(関)銃で射撃しました。
大阪城は、大規模な補修後の今では、こういう限られた痕跡となっていますが、それでも、
その恐ろしさが如実に伝わります。
戦争なんていう話題は、先ず気分が悪くなるのでーここで終わりにします。
天川村に墜落したB29 だったからこそ、今でも資料館で見れるということではないでしょうか。