宇久井 地名の由来
うぐい、もしくは、うくい という名前は、珍しいですね。
覚えづらいかもしれません。
どうして宇久井なのか、諸説があり、確定した理由はない模様です。
一説、この近辺に生息していた鵜という鳥があり、それで魚をとる人達がいた、ということです。
「鵜飼(うかい)」が、うくい、と訛ったという一説があり、なんとなく納得できる内容です。
私は、なんだか万葉集の歌にでも詠まれた、どこかの地名かと思ってました。
なんとなく、古風で風流な響きがあると思いませんか。
どなたかご存知の方がいたら教えてください。
宇久井半島はもともと島だけだった
宇久井半島は、おおざっぱにいって、1万6000年前から1万5000年前くらいの縄文時代の初めは、陸から離れた島だけがあり、半島ではありませんでした。
どのように半島となったのでしょうか。
①海岸近くに島があると、その島と陸の間で沖からの波が島を両方向から囲い、衝突しあって弱まります。
②その結果、荒い外海と違った、静かな内海ができます。
③そこに沿岸流や河川から運ばれてきた砂が堆積し、島と陸を結ぶ砂州ができ、陸となるのだそうです。
これが宇久井半島の誕生です。
典型的な、陸繋島(りくけいとう)とつながった陸繋砂州(りくけいさす)の部分が、私の居住地、宇久井です。
陸繋島とは、陸につながる(繋がる)という、その言葉そのものですね。
全国にこういう地形は沢山あり、近くで言うと潮岬がそうです。
また海外で言うと、フランスの世界遺産モン・サン・ミシェルの地形と同じです。
こう言うと分かりやすくなりますね。
砂州と言うと、波にさらわれてしまうような脆弱な地面を想像しますが、とんでもコンコンチキですよ。
戦後の経済が上向きの時代以降、至る所に畑があり、さまざまな野菜を人々は栽培してました。
お米を作る田んぼもありましたね。
自分たちで作った野菜は、スーパーでは買えないような「おいしさ」で、頬が落ちそうでした。
それほど豊穣な土地です。